海津 亮介(かいづ りょうすけ、1958年12月19日[1][注釈 1] - )は、日本の元俳優。本名は稲葉 和則(いなば かずのり)[1]。
東京都出身[1]。大東文化大学中退。鷲尾企画[3]、東京俳優生活協同組合[1]に所属していた。既婚。
幼少期は将来の志望を持っておらず、進学後にやりたいことを見つけようと考えていたが、大学生活が自身の感覚に合わず、退学する理由付けとして俳優を目指すようになった[3]。東京俳優生活協同組合の養成所を卒業した後、鷲尾企画に所属[3]。養成所時代の同級生には声優の富沢美智恵、後輩には山寺宏一がいた[3]。
『わが子よV』(1985年、TBS)で俳優としてデビュー[3]。『光戦隊マスクマン』(1987年、テレビ朝日)のタケル / レッドマスク役や『渡る世間は鬼ばかり 第2シリーズ』(1993年、TBS)の佐久裕二役をはじめ、恋愛に絡む役を多く演じた。また、『マスクマン』に主演した縁から、その後も東映作品を中心に多くの特撮作品にゲスト出演したが、当時の所属事務所がテレビ出演のギャラを大幅に上げたことが原因で仕事の依頼がなくなり、1999年ごろに芸能界を引退[4]。
引退後は、味噌ラーメン専門店・味噌一上石神井店で店主を務めている[2][4][3]。自分のファンだった25歳年下のフィリピン人女性と結婚しており、2人の子供がいる[2][4]。
2015年3月21日・22日、マニラにて開催されたJEFusionの主催によるイベント「HENSHINCON(変身コン)」に、『地球戦隊ファイブマン』(1990年、テレビ朝日)の信達谷圭と共にスペシャルゲストとして参加した。これをきっかけとして、2016年に信達谷とニヤニヤブラザーズを結成した後、スーパー戦隊シリーズOGである牧野美千子・たなかえり・宮澤寿梨を加えたニヤニヤブラザーズ&シスターズとしてライブ活動を行っている[5]。
2022年にはテレビアニメ『怪人開発部の黒井津さん』第3話のナレーションを担当した[6]。これは同作品のレジェンド&ローカルヒーロープロデューサーを担当した鈴村展弘による依頼を快諾したものであるが、アフレコ当日には許可を得たうえでアニメ好きの我が子を現場に連れていき、自分の仕事を見学させてもらったという[6]。
趣味・特技は、ジャズダンス[7]、スキー、テニス、ギター、フルート。
『光戦隊マスクマン』の前作『超新星フラッシュマン』(1986年、テレビ朝日)にもゲスト出演していたが、その際にレギュラーの植村喜八郎からこれが次期戦隊レッド候補の選考を兼ねたものであると聞かされていた[8][3]。その後、『マスクマン』の他のメンバーは東映本社で数回オーディションを行っていたことを聞いたが、自身は本社でオーディションを受けてはいないと述懐している[3]。また、『フラッシュマン』第27話を担当した監督の長石多可男からは、撮影中にオーディション前から海津に決めていたと告げられていた[3]。
アクションを好んでいたため、自ら志願して派手なアクションシーンをスタントなしで演じることも多かった[8]。アクションを担当していたJACほどスピーディな動きはできないが、ミニトランポリンなどはこなせるようになったと述べている[8]。
撮影当時はファンと触れ合う機会は少なかったが、ラーメン店を営んでから大人のファンが店を訪れるようになって「戦隊ファン」の存在を知り、ヒーローをやっていてよかったと思うようになり、代表作として『渡鬼』だけでなく『マスクマン』も挙げるようになったという[3]。
脚本家の一人である井上敏樹は、初めて仲良くなった出演者が海津であるといい、当時はよく飲み歩いていたという[9]。
臙脂色の戦士に関しては下記の「左記以外の色」の項に掲載。追加もしくは番外戦士などは、担当出演者の前に太字で表記。番外戦士に関しては、準レギュラーまたはゲストとして出演することがあり、準レギュラーの出演は準レ、本作品または映画、Vシネマの出演はゲストと表記。