垂水 藤太(たるみ とうた、1958年8月29日[1][2][4][5] - )は、日本のモデル[6]、元俳優[6]。本名同じ[1][2]。別名、阿川 藤太()[2]。父は俳優の垂水悟郎[7][3]。
東京都出身[1][5][3][2][4]。多摩美術大学グラフィックデザイン科[1][8]中退、演劇集団 円演劇研究所卒業[5]。木冬社[5][8]、夏木プロダクションを経て[2]、マドモアゼル所属[4]。
来歴
幼少期から父の出演舞台を観ていたが、当初は役者ではなく美術の道に進むことを志していた[8]。大林宣彦監督作品の美術監督として知られる薩谷和夫が近所に住んでおり親しくなった関係で、高校生の時に薩谷や数人の仲間とともに自主映画を製作[3]。大林監督の『HOUSE ハウス』には美術助手として現場に入っていた[3][8]。大学時代に紹介されたモデルクラブの仕事が忙しくなり3年から4年に進級できず、父に将来の選択を迫られ、当時観ていた『北の国から』の影響で役者に興味を持つようになったこともあり、演劇集団 円演劇研究所に入る[3][8]。
1983年、テレビドラマ『おゆう』で俳優デビュー[8][注釈 1]。東映テレビプロの制作デスクが父のことをよく知っていたこともあり[3]、『宇宙刑事ギャバン』や『特捜最前線』などの東映作品にも出演。メタルヒーローシリーズの主役候補になっていたことがあり、一時期JACの練習に通っていたこともあった[3]。
1986年には『超新星フラッシュマン』にて主役のジン / レッドフラッシュ役を演じる[3][8]。それまではモデルの仕事や舞台が多く不規則な生活だったため、近所の住民に不審に思われていた節があったが、『フラッシュマン』に出演したことで役者として認知されたと感じたという[3]。
現在はマドモアゼルに所属し、CMモデルなどとして活動している[10]。また並行して日本文化の海外振興事業にも携わっている[8]。以前は飲食施設のコンサルティングを務めていた[8]。
人物
趣味・特技は、散歩[5]、写真[5]、料理[5]、茶道[5][1][4]、歌唱[2]、絵画[2]。
『フラッシュマン』への出演は、当初オーディションと聞いて東映東京撮影所に向かったが、すでに他のメンバーが揃った状態で主演に決定したことを伝えられ、事実上オーディションはなかったと証言している[8]。その後もスチール撮影の後はスタッフの顔合わせや打ち合わせなどはなく、台本を渡された翌日からクランクインであったという[8]。
『フラッシュマン』のメンバーは仲が良く、垂水はメンバー最年長で2歳下の植村喜八郎以外は年齢が離れていたこともあり、劇中同様のリーダー的な立場として慕われていたという[8]。植村は、意外にひょうきんであると評している。
『フラッシュマン』当時は喫煙者であったが、視聴者に対する責任を感じ、子供の前ではタバコを吸わないと決めていた[8]。
今後の戦隊シリーズへの出演について韓国紙・中央日報のインタビューで「(2017年時点で)還暦を控えているのでまた戦隊物に出演するのは難しいです。引退までモデルの仕事を続けていこうと思っています」 と語っている[12]。
出演
テレビドラマ
バラエティー
映画
オリジナルビデオ
舞台
- アンドロマック(1983年、演劇集団 円)
- タンゴ・冬の終わりに(1984年、パルコ劇場) - トウタ
- なぜか青春時代(1987年、パルコ劇場)
- 竹取物語(演劇集団 円)
- 国語元年(演劇集団 円)
- 調理場(演劇集団 円)
- 天保十二年のシェークスピア(演劇集団 円)
- あなた自身の為のレッスン(演劇集団 円)
CM
脚注
注釈
出典
参考文献
外部リンク
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第1作-第2作 | |
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第3作-第15作 | |
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第16作-第25作 | |
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第26作-第35作 | |
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第36作-第45作 | |
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第46作- | |
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