池田 宗泰(いけだ むねやす)は、因幡鳥取藩の第4代藩主。幼名を長吉、のち世嗣となり勝五郎と改める。官位は従四位下、出羽守。
鳥取城で生まれる。母は中村孫助の娘・美那。享保16年(1731年)、第8代将軍徳川吉宗(第2代藩主池田綱清の母方の従兄弟にあたる)の面前で元服、吉宗と父・吉泰より偏諱を賜り宗泰と名乗る。従四位下を叙任する。元文4年(1739年)、父・吉泰の死去に伴い家督を相続する。この年、因幡・伯耆両国で増税に反対した領民による大規模な一揆「元文一揆」が起こった。このため、藩主就任早々、倹約令を出し藩財政の立て直しを計った。寛保3年(1743年)、正室・久姫と婚姻する。延享4年(1747年)8月21日に死去した。享年31。家督を2歳の長男・勝五郎(のちの重寛)が継いだ。法号は大廣院殿義山衍隆大居士。墓地は鳥取藩主池田家墓所。菩提寺は龍峯山興禅寺。