水井は、1964年東京オリンピックと1968年フランスのグルノーブルオリンピックに石の彫刻大作を制作している。日本における《余韻の化石》Les murs des fossiles[1]と、フランスにおける《マクロコズムとミクロコズム》Macrocosme et Microcosmeである。
《余韻の化石》Les murs des fossiles(花崗岩/2mx 93x 0.3/国立代々木競技場/丹下健三依頼)。)[6]
国立代々木競技場は、丹下建三の設計で1961年から1964年にかけて東京の代々木公園にたてられたスポーツ施設である。その回廊を飾る巨大なアブストラクトの壁面レリーフは、全長93mという巨大なものであり、35cm -1m82cm x 60cm x 30cmの408個の御影石のブロックから構成されている。この御影石は、岡山県の「石の島」と呼ばれる北木島のもので、総重量は160トンにも達する。水井は1963年(昭和38年)10月に丹下から依頼を受け1964年(昭和39年)2月から構想に入り、4月から7月まで北木島で10人の助手とともに粗彫りをしそれを東京に運び、8月末に完成させた。9月には外国のプレスに紹介された。
フランス政府では、公共建築物の建築費の1%を芸術作品にあてるという法律が1951年(昭和26年)に施行された。現在もそれは継続し拡大されている。この公共の芸術のための彫刻家の選定は厳しく、すでに選考された彫刻家のプランによって文化省の選考委員が協議して決定される。水井は、1968年(昭和43年)から1982年(昭和57年)にかけて、この1%アートの枠である石彫刻の大作をフランス全土において30作品実現をする。[10]水井にとって第一回目のフランス文化省からの指名は、ボルドー大学法学部(1968年)であった。ここでは《泉の化石》を設置[1]。また、この依頼は、グルノーブル冬季オリンピックの彫刻が評価されてであった。他の作品《開く壁》Le mur qui s'ouvre(コンクリート/4,5m x 13 x 1,4/フランス、ランブイエ高校/1972)は、はじめてのコンクリート作品であり新たな挑戦があった。造形の構想は大量の発泡スチロールを電熱線で切りだしながらおこなわれる。まるで光を招待するかように、頂に大きな漏斗状の穴を作り影の面に光を導こうとした作者の意図がうかがわれる。[11]それは強靭な石と柔軟な感性が素材の中にびっしりと凝固しているようで、ヨーロッパの伝統にない、東洋の幽玄性が感じられると評価されるが[12]、水井自身は「長いことパリでヨーロッパを吸収し、それが飽和状態になった時、これでは自分(日本)がなければ太刀打ちできないと思った。それで東洋を勉強し直し仏典なども随分読んだ。」といっている[13]。
シンポジウム
彫刻シンポジウムとは、単なる鑑賞用、装飾用、あるいは記念像的意味を離れて都市美の一翼を担うものとして、新しい方向と意義をもって開かれた活発な動きである。同じ場所で、同じ材料によって互いにそれぞれの作家の手腕を競うところに価値と意味があった。シンポジウムという名のもとでの彫刻競演の集いは、1959年(昭和34年)オーストリア、ウィーンのサン・マルガレーテン(ドイツ語版)採石所で最初に実現した。水井の参加は、第2回のオーストリア(1960年)からである。この時はじめて4mの大きな石を刻むことによって、石の魅力に取り憑かれたと語っている。
1962年(昭和37年)に開かれた西ベルリンのシンポジウムでは、[14]「東に壁を、西に彫刻を作る」とのうたい文句で開催への協力と制作に小一年を費やした。その時の作品《愛の鍵》Clef d'amour(石/4m x 0,9 x 0.6)は、ベルリンの壁を前にしてベルリン広場において制作され、ドイツ批評家章を獲得した。[15]水井はいう。「私達の広場の向こうに、東と西を隔てる壁がある。その壁ゆえ、連日のように悲しい物語を生むのである。私達の無言の怒りがこの会を支えていたようである。」[16]位置は移動させられたが、現在もベルリン広場の一角に存在している。(1963年)真鶴市での朝日新聞社主催の世界近代彫刻シンポジウムにおいては、リーダー格として、総計6カ国12人が参加した[17]。
1985年(昭和60年)ハリウッド映画界の神話と言われたジェームズ・ディーンのファンの大西清太が、アメリカの事故現場カリフォルニアのコレーム (カリフォルニア州)(英語版)にメモリアル彫刻を設置する意向で、《希望の壁》Le mur de l'espoir を依頼した. 水井は、3年間にわたって現地にも足を運び準備を進め、水井の住まいであるフランスのラコストの石灰岩を使用し、150トンの巨大作品(13m x 4,5 x 1.2)として完成したが、現地の土地の所有者との折り合いが最終的につかず、現地設置には至らなかった。本作には、ディーンの死は多くのファンを悲しませた絶望であったが、残された彼の映画作品がその絶望を開くという意味がこめられている。裏側には往時のディーンの顔が彫刻されている。作品は2006年(平成18年)ディーンの事故死から51年後に、水井の住まいであるラコストの庭に野外設置という形でおさまっている[21]。
オシロレリーフとは、直線が縦振動と横振動をしながら電熱線で切ったフォル ムである。一見自由にみえるフォルムであるが、注意深い技術的なコントロールを秘めている。このフォルムは、《開く壁》Le mur qui s'ouvre(コンクリート/4,5m x 13/フランス,ランブイエ高校/1973)によって考案され、以後、十年近い制作の基本アイディアとなった。この写真の彫刻は、《複揺》Oscillo-Complexe(石/3m x 1,3 x 1,2/1981美ヶ原高原美術館長野)における第二回ヘンリー・ムーア 大賞展に招待された時の作品で ある。作品は7トンにも及び、作者はフランスの ナンシーで制作し、完成した作品は飛行機で日本に運ばれた[27][28]。
壁状の彫刻 1964 -
1964年東京オリンピック《余韻の化石》Les murs des fossiles(と1968年フランスのグルノーブル冬季オリンピック《マクロコズムとミクロコズム》Macrocosme et Microcosmeにみられるような壁状のレリーフ。この写真は、《コスモス》Cosmos(石/15m x 18 x 0,06/1970/フランス、ビルフランシュ工業学園 Cité Technique deVillefranche-Sur-Saöne France )「天地の発想で6cmの厚さ360枚の石板の壁に光と陰を模索した。」[29]
大きな頭のような彫刻 1960 - 1971
《ネゲブの自然に捧ぐ》Hommage à Néguev(大理石/3,7m x 1,7 x 0.6/1962イスラエルネゲブ砂漠)イスラエルシンポジウムの時に制作された作品。水井曰く「この2ヶ月の制作期間は私にとって野生の大自然の洗脳であった。まるで 私の彫刻はこの砂漠という広大さのなかで、大海における一滴の水のようだと感じた。この大自然を前に、はじめて心から謙虚に鑿ノミをとることができた。最後に頂上部分に楕円穴をくり抜いた時、太陽の光が自分のほうへ昇って来たと感じた。」[30]
彫刻ジグザグ 1973-1974
《ジグザグ》ZigZag(石/2m x 0,4 x 0,4/1974/フランス ラコトのアメリカ美術学校)発泡スチロールを立体画用紙のように切り出し構築した作品。このアメリカの美術学校で、水井は夏の期間、野外彫刻の指導をした。前世紀半ば、田舎の過疎化に乗じて、パリのアーティスト達は競って各地にアトリエをもった。プロバンスのラコストのマルキ・ド・サド公爵の城近くにはニューヨーク出身の画家ベルナールフリムが村の中心にアメリカの大学生を対象にした美術学校を開いた。水井は20年も関係し、毎夏一点の作品を生徒とともに作った[31]。
没後
2008年 (平成20年)9月3日、以前から煩っていた膵臓癌のための衰弱にてフランスアプト(Apt)の病院にて死去した(満83歳没)。葬儀は水井のラコストの自宅の庭、彫刻《希望の壁》Le mur de l'espoirの前で、近親者隣人などで行われた。ラコストの墓地にて永眠[32]。
フラッグ・フランス・ルネッサンス Flag-France Renaissanceフランス文化省の敷地において、《雲の番人》Gardien du Nuage(石/2,1m x 1 x 0,6/1978)の野外展示。作品はラコストの庭からパリへ運送された。[38]
人物
1983年(昭和58年/フランス滞在30年後)、水井が最初の展覧会を日本で開いた時、岡本太郎はその感動をこうあらわしている。「流動感にあふれている。しかも同時に人間感も味わえた。大変良い作品ばかりだと思う。今後日本でも大いに見せてほしい。」岡本とは後に友人になり、バンセンヌの森には岡本の作品があり、水井はブローニュの森に《馬頭像アミラル》Amiral/tête de cheval(ブロンズ/1,2m x 0,9 x 0,6/1963)が現存する[39]。
ジャン・ローゼンベルグ Jean Rosenberg(ポワチエ大学生物学元名誉教授)が、水井におくった言葉である。「康雄の世界に特定な日本を見出さない。彼の非具象の作品の中に時代の観念はない。象徴や具象を通して計算されたメッセージもない。彼の作品は宇宙的である。そこからは生の起源や進化が感じられる。それは個別化したものでなく宇宙的存在の本質を表明する。それは生の進化の始めにおこることそのものである。」[40]
《鳥の墓》 Tombeau des corbeaux (ブロンズ /0.75m x 0.28 x 0.28 /1958年4月 /第一回パリビエンナーレ展 彫刻の部でアンドレシュス賞を受賞、 ラコスト)
《馬頭像アミラル》 Amiral:tête de cheval (ブロンズ /1.2m x 0.9 x 0.6 /1963年3月 /パリ、ブローニュの森 Bois de Boulogne à Paris)[65]
《鉄ベラデッサン 3点》 (1966、72、74年 / ヴォーヴェ オワーズ県立美術館 MUDO à Beauvais) [66]
《マクロコズムとミクロコズム》 Macrocosme Microcosme (石 /1.3m x 81.0 x 0.4/1968年8月/グルノーブルオリンピック、グルノーブルオリンピック村 Village Olympique de Grenoble)[67]
《泉の化石》 Jet d'eau pétrifiée (コニャック産石灰石 /3.2m x 8.0 x 8.0/ 1968年11月/ボルドー、ボルドー大学法学部 Université de Bordeaux)[50]
《南仏の花》 Fleur du Midi (石 /3.0m x 1.0 x 1.0 / 1968年12月/ イエール (ヴァール県) 、イエール中学校 C.E.S d'Hyères)[68]
《コスモス》 Cosmos (石/ 15.0m x 18.0 x 0.06 /1970年3月/ ビルフランシュ・シュル・ソーヌ、リセ・ルイアルマン Lycée Louis Armand de Villefranche-sur-Saône )[69]
《ある発生》 Une naissance (石 /1.3m x 36.0 x 0.35/ 1970年6月 /パリ、パリ工業大学理工院 UIT Paris Decarte)[69]
《太陽 森 祭 》 Soleil - Forêt - Fête (大理石と石/ 1.3m x 36.0 x 0.35 / 1970年7月 /パリ、ベルサイユ通り幼稚園 Ecole maternelle de Avenue de Versailles, Paris)
《海》 La mer (石/ 1.3m x 15.0 x 0.35 /1970年9月 /シャトールー、シャトールー中学校 C.E.S de Châteauroux)[70]
《ミストラル》 Le mistral (石 /2.5m x 70.0 x 0.4 /1970年10月 /ガルダンヌ、ギャルダンヌ中学校 C.E.S de Gardanne)[70]
《ランデブーポイント》 Le point de rencontre (大理石と石 /1.0m x 2.0 x 2.0 /1971年3月 /パリ、ベルサイユ通り幼稚園 Ecole maternelle de Avenue de Versailles, Paris)
《対話》 Dialogue (石/ 3.7m x 2.0 x 0.8/ 1971年9月/ メッツ、メッツ大学文学部 Faculté des lettre de Metz )[69]
《オシロタワー》 Oscillo-tour (ラコスト産石灰石/ 2.0m x 0.6 x 0.6/ 1972年7月/ ラコスト Lacoste)
《開く壁》 Le mur qui s'ouvre (セメント /4.5m x 13.0 x 1.4 /1972年12月 /ランブイエ、ランブイエ高校 Lycée de Rambouillet)[69]
《ヴァイタリティの泉》 Source de vitalité (石 / 3.0m x 5.0 x 1.0 /1973年2月/ランブイエ、ランブイエ工業高校 Lycée Technique de Rambouillet )[69]
《豊穣の角》 La corne d'abondance (石/ 3.0m x 4.0 x 1.0 / 1973年6月/ 山と彫刻展 /アッシ高原 Expo-Plateau d'Assy, J.P.Lemesle)
《ジグザグI》 Zig et Zag I (石/ 2.0m x 0.4 x 0.4/ 1973年7月/ スキャッド ラコスト SCAD Lacoste)
《命の気配》 Le signe de la vie (石 / 3.0m x 16.0 x 2.5 /1973年9月 /フランス、アングレム工業高校 Le lycée Charles Coulomb d'Angoulème])[71]
《太陽の番人》 Gardien du soleil (石 /4.0m x 1.0 x 1.0 /1973年11月 /ヴィニューシュルセーヌ、セーヌ湖畔ビニュー学園 Groupe Scolaire de Vigneux-sur-seine )[69]
《山頂》 Les cimes (ポリゾル /3.0 m x 6.0 x 0.6 /1974年5月 / ウーアン・リオン、ウーアン中学校 C.E.S d'Oullins,Lyon France)
《鶏叫》 Le chant du coq (プラスティック / 2.5m x 0.6 x 0.2 /1974年6月 / フランス シャモニー=モン=ブランでの展覧会 Expo-en group á Chamonix France, J.P. Lemesle)
《連峰 II》 Les crêtes II (石 /2.0m x 5.5 x 1.5 /1974年11月 モンフォール・ラモリ、モンフォール・ラモリ中学校 C.E.D de Montfort-l'Amaury)[69]
《ジグザグIV》 Zig et Zag IV (石 / 0.8m x 0.25 x 0.25 / 1974年12月/ ラコスト Lacoste)
《銀河》 Voie lactée (大理石 / 2.2m x 13.0 x 0.03 /1975年1月 / パリ 東京銀行支店 Paris / 早間玲子)
《連峰 III》 Les crêtes III (石 /2.0m x 5.0 x 1.3 /1975年4月 日本国際交流基金展 (ミドルハイム彫刻公園 アントウェルペン ベルギー)、ラコスト)
《ジグとザグ(2点)》 Zig et Zag (石/ 1.0m x 0.6 x 0.6 / 1975年7月/ スキャッド ラコスト SCAD Lacoste)
《発芽の門》 La porte de germination (石 /5.0m x 3.0 x 0.8 /1975年10月 /ドンバル、ドンバル工業高校 Lycée Technique de Dombasle France)[69]
《オシロ・カスケード》 Oscillo-Cascade I (ミューズ産石灰石/ 2.0m x 6.0 x 1.0 / 1975年11月/ ラコスト Lacoste)
《ソーヌ河》 La Sâon (石 / 2.5m x 25.0 x 0.5 /1975年12月 / ビルフランシュ・シュル・ソーヌ、リセ・ルイアルマン Lycée Louis Armand de Villefranche-sur-Saône )[69]
《オッシロ・アーチ》 Oscillo-Arc (石灰石/ 1.5m x 4.0 x 0.4 / 1975年11月/ ラコスト Lacoste)
《知積》 Sagesse (ラコスト産石灰石 / 4.0m x 2.7 x 0.6 /1976年8月 /パレゾー、パレゾーエコールポリティック Campus de l'École polytechnique de Palaiseau)[72]
《風切りの壁》 Coupe-Vent (石 /2.0 m x 38.0 x 0.35 /1976年9月 /シャトーブリアン・レンヌ、シャトーブリアン・レンヌ高校 Lycée de Châteaubriant, Rennes )[69]
《賀石》 Une ronde (石 /3.4m x 5.6 x 2.6 /1976年12月 /コルマール、コルマール学園 Cité Technique de Colmar France)[69]
《海の祭》 Fête de Mer (石 /1.3m x 20.0 x 0.35 /1977年3月 /ブルブルグ、ブルブルグ中学校 C.E.S de Bourbourg)[69]
《オシロ・ステップ》 Oscillo-escalier (石灰石 / 2.0m x 6.0 x 1.3 /1977年5月 /ヴィルヌーヴ・ダスク、シュナイデーと新都市計画センター Établissement public d'aménagement de Lille-Est)[73]
《オシロ・エレメント》 Oscillo-élément (石灰石/ 2.0m x 1.0 x 1.0 / 1977年7月/ ラコスト Lacoste)
《オシロ・カスケードII》 Oscillo-cascade II (石 / 3.0m x 12.0 x 3.5 /1977年10月 /ナンシー、ナンシー大学理学部 Faculté des Sciences de Nancy France)[74]
《水のカーテン》 Rideau d'eau (セメント /3.2m x 11.0 x 0.3 /1977年11月 / 新都市ルボードロイユ Fontaine de la Place de Quatre saisons,Val-de-Reuil)[75]
《泉水スクエア》 Fontaine au filet d'eau (セメント / 2.0m x 2.0 /1978年2月 /ヴィルヌーヴ=ダスク、シュナイデーと新都市計画センターÉtablissement public d'aménagement de Lille-Est )[76] Ville nouvelle de Lille-est France)
《雲の橋》 Arc du Nuage (石 / 3.6m x 5.6 x 1.6 /1978年6月 /ボルドー、ミシェル・モンティニュ高校 Lycée Michel Montaigne de Bordeaux)
《雲の番人》 Le gardien des nuages (石灰石 / 2.1m x 1.0 x 0.6 /1978年7月 / エズ Eze)
《泉水スクエア (追加)》 Fontaine au filet d'eau (セメント / 10.0m x 2.7 x 0.1 /1978年10月 /ヴィルヌーヴ・ダスク、シュナイデーと新都市計画センターÉtablissement public d'aménagement de Lille-Est )[77] Ville nouvelle de Lille-est France)
《風をはらむ石》 Pierre qui s'enfle (石灰石 / 2.0m x 1.0 x 0.4 /1979年7月 / ラコスト Lacoste)
《ななめ組》 Diago complexe (石灰石 / 2.0m x 1.0 x 0.4 /1980年7月 / ラコスト Lacoste)
《台風の目》 L'oeil du Cyclone (石 /2.4m x 3 x 0.6 /1980年10月 / サンドニ、アルフレッド・シスレー中学校 Collège A.Sisley de L'Île-Saint-Denis)[78]
《カマルグ》 Camargue (ラコスト産石灰石 / 1.2m x 2.0 x 0.6 /1981年7月 / ラコスト Lacoste)
《連峰》 Oscillo-Crêtes (石 /2.4m x 7.5 x 1.8 / 1981年5月 / リヨン、リヨン・ブロン陸軍衛生大学 Ecole du Service de Santé des Armés de Bron,Lyon)
《ファミリーアーチ》 Arc en Terre (石 / 2.5m x 3.6 x 1.1/ 1982年5月 /ラット・モンペリエ、Lattes, Montpellier)
《空錐》 Mèche au ciel (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 0.6 x 0.45 /1982年7月 / ラコスト Lacoste)
《三つ窓》 Trois fenêtres (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 0.9 x 0.9 /1983年7月 / ラコスト Lacoste)
《星座》 Constellation (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 1.1 x 0.6 /1984年7月 / ラコスト Lacoste)
《祝福》 Les Bénédictions (インド砂岩(白 赤) / 1.0m x 0.95 x 2.0 /1985年4月 / ラコスト Lacoste)
《舞窓》 Fenêtres tournantes (ラコスト産石灰石 /2 .0m x 0.8 x 0.7 /1985年9月 / ラコスト Lacoste)
《笑石I》 Pierre qui rit I (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 1.0 x 1.0 /1986年9月 / ラコスト Lacoste)
《サボテンテーブル》 La table cactus (ラコスト産石灰石とサボテン / 0.7m x 1.1 x 1.0 /1988年7月 / ラコスト Lacoste)
《石の宮》 Mini palais (ラコスト産石灰石 / 1.1m x 1.1 x 0.95 /1988年9月 / ラコスト Lacoste)
《斜柱》 Colonne biaise (大理石 /1.8m x 0.65 x 0.65 /1989年5月 / ラコスト Lacoste)
《希望の壁》 Le mur de l'espoir (ラコスト産石灰石 / 13.0m x 4.5 x 1.2/ 1989年8月 / ラコスト Lacoste/ ジェームス・ディーン・モニュメント /大西清太 )[79]
《四重奏》 Quartete (ラコスト産石灰石 / 3.0m x 0.95 x 0.85 /1990年9月 / ラコスト Lacoste/R.コルパン)
《ジグザグII》 Zig et Zag II (ラコスト産石灰石 / 2.0m x 0.4 x 0.4/ 1996年9月/ ラコスト Lacoste)
^“International Sculptors Symposium” (英語). North Carolina Architect. The North Carolina chapter of the American Institute of Architects. pp. 17–18 (October 1968). 20 February 2016閲覧。
^ ab“Date 6”. Outside sculpture in Kansai region. 松本英二. 27 September 2017閲覧。
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У этого термина существуют и другие значения, см. Краван. КоммунаКраванCravans Герб 45°36′ с. ш. 0°42′ з. д.HGЯO Страна Франция Регион Пуату — Шаранта Департамент Шаранта Приморская Кантон Жемозак История и география Площадь 14,72 км²[1] Часовой пояс UTC+1:00, летом ...
Greek professional footballer Konstantinos Dimitriou Dimitriou with Greece U21 in 2019Personal informationFull name Konstantinos DimitriouDate of birth (1999-06-30) 30 June 1999 (age 24)Place of birth Thessaloniki, GreeceHeight 1.86 m (6 ft 1 in)[1]Position(s) Centre-backTeam informationCurrent team DiagorasNumber 4Youth career2004–2013 Giannitsa2013–2018 PAOK2018–2019 Basel U21Senior career*Years Team Apps (Gls)2019–2021 Basel 1 (0)2020 → Wil (loan) 2 (0...
Marcus Goree Nazionalità Stati Uniti Altezza 203 cm Peso 116 kg Pallacanestro Ruolo Ala grande Termine carriera 2015 Carriera Giovanili Hillcrest High School1996-2000 WV Mountaineers Squadre di club 2000-2001 Le Havre2001-2002 Skyl. Francoforte26 (513)2002-2003 Maccabi Tel Aviv2003-2004 Gran Canaria34 (602)2004-2007 Pall. Treviso97 (1.256)2007-2008 CSKA Mosca2008-2009 Triumf Ljubercy232010-2011 Braunschweig46 (542)2011 PAOK Salonicco10 ...