ガルダンヌ (Gardanne、オック語プロヴァンサル方言:Gardana)は、フランス、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏、ブーシュ=デュ=ローヌ県のコミューン。
エクス=アン=プロヴァンスの南約15マイル、マルセイユの北25km地点に位置する。ガルダンヌは地理的、行政上、歴史的にもプロヴァンスの鉱山地帯の中心である。
新石器時代である紀元前4世紀頃の定住地跡が見つかっているが、ガルダンヌのまちとしての形態が現れるのは中世である。このときカストゥルムが南の緩やかな丘の上に築かれていた。カストゥルムについては、11世紀のサン=ヴィクトール・ド・マルセイユ修道院の特許状台帳の中でふれられている。こののちノートルダム教区教会がカストゥルム跡に移り、土地は修道院が所有していた。中世を通じてガルダンヌは壁で覆われ、貴族の家系がガルダンヌ領主となっていた。
シチリア王にしてプロヴァンス伯のルネ・ダンジューは1454年から1480年までガルダンヌの領主となって行政を司った。ルネはガルダンヌに城を建て、余暇を過ごした。ガルダンヌはのち、フォルバン家(クロード・ド・フォルバンはルイ14世時代の海軍軍人)の領地となった。
1676年、ガルダンヌ住民は134000リーヴルを払って土地を王から取得し、専制的な領主から解放された。17世紀から炭鉱業がさかんとなり、瞬く間に、木材の不足を補うために石炭が求められ、地域に影響を与えるようになった。19世紀、石炭産業は近代化された。マルセイユにあるオリーブ油抽出の工場、タイル製造、石鹸製造の工場に燃料を供給した。主として農村であったガルダンヌは、市街の拡張、鉄道の到来で姿を変えた。画家ポール・セザンヌは1885年から1886年にかけての15ヶ月間をガルダンヌで過ごしている。
19世紀終わりの、ペシネー社のアルミニウム製造工場設置、ビヴェル地区の鉱山は、鉱山の自治体への転換点となった。人口が急激に増加し、イタリア、ポーランド、チェコスロバキア、アルメニア、スペイン、北アフリカからの労働者が流入した。彼らは貧困や戦争で国を出てきた人々で、アルミニウム製造業や鉱山、まちの商店に勤めた。
アルミニウム製造には多くのエネルギーが必要なため、大戦後には石炭燃料を原料とする火力発電所が設置された。1949年には最高を記録した鉱山労働者の数は2003年に閉山となるまで緩やかに減少した。
1893年に創業したペシネー社の工場は、現在リオ・ティント・アルキャンの傘下となり、従業員400人、下請け労働者250人が働いている。ギニアから輸入されたボーキサイトをアルミナに加工する、フランス国内唯一の工場である。工業用セラミックス、特殊な耐火ガラスとの組成にアルミナが用いられる。
source = Ehess[1] et INSEE[2]