「欽欽乃欽欽学学教室」(キンキンのきんきんがくがくきょうしつ)は、ニッポン放送で、1973年10月7日から1976年3月28日まで、日曜日午前の時間帯で放送されていたラジオバラエティ番組。
本項では、この後継番組となり、1976年4月4日から1977年3月27日まで放送されていた「欽欽のトッピンシャン」(キンキンの - )についても合わせて説明。いずれも、メインパーソナリティは愛川欽也。
概要
通称「欽学」(きんがく)。俳句、川柳、狂歌、替え歌を多く募集。薀蓄のある話から男女関係、体や生理現象の話、下ネタまであらゆることを“研究”として番組中で紹介などしていた。また、あらゆる雑学に触れるコーナーも有った[1]。
贈られてきた作品の中から、優秀作品に表彰状が贈られていた[2]。
コカコーラ・ボトラーズ[3]の一社提供[1]。
放送時間
パーソナリティ
- 愛川欽也
- アシスタント:西村知江子(当時ニッポン放送アナウンサー)
- 西村の起用については、愛川の「出来が悪くてもいいから、笑い声のいい人がいいね」という相手役の選定についてのリクエストによるもので、最初の2か月ほど笑い声だけの出演のつもりだったが、たちまち人気者になったことで出演が継続になったという[4]。
スタッフ
- ([1])
ネット局
いずれも製作局・ニッポン放送と同じく、毎週日曜日(午前帯及び昼過ぎ)に放送されていた。
書籍
- 欽欽乃欽欽学学教室(愛川欽也・編 ルック社・刊 1975年)
- 「欽々学々大教室」(恋に目覚める頃/欲望に目覚める頃/恋が鼻につく頃/教育への提言/うるわしの兄弟愛/両親甘いかすっぱいか)
- 「何でも大研究」(キッスと目をつむることの相関関係について/本の字になって寝ることについて/男を知る(!?)大研究/ハア!の研究/涙甘いか?しょっぱいか?/新幹線より速いもの!/天才にはハゲが多い/鼻ソバ!/感情と体温の変化の相関関係について/すっぱーい研究なのだ!/パパイヤ重量測定法)
- 「欽学美術教室」(番組に送られてきたイラストを紹介)
- 「欽学PTA教室」(幸せなのよ、今は/男の悲哀、女の悲哀/親の心、子の心/18歳未満立入禁止)
- 「欽学雑学教室」(ライターのガスの話/○○の話/ナポレオンとバターの関係/歴史の話/忘れ物の話/ニョロ、ニョロと迫ってみる/サカサクラゲ(温泉マーク)の話/解剖学的な考察/お茶の話/女の法則/外来語のお話/跳躍大会のお話/鰯のお話/血管について/心臓の話 など)
- 「愛川欽也三題」
- 以上を収録。
- 欽欽乃欽欽学学教室 その2(愛川欽也・編 ルック社・刊 1976年)
脚注
- ^ a b c 番組本『欽欽乃欽欽学学教室』の記載内容より。
- ^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年3月号 18ページ
- ^ STVは北海道コカ・コーラ。RAB・ABS・IBCはみちのくコカ・コーラ。BSNは三国コカ・コーラ。YBS・SBSは富士コカ・コーラ。SBCは長野コカ・コーラ。KNB・MRO・FBCは北陸コカ・コーラ。CBCは中京コカ・コーラ。WBSは三笠コカ・コーラ。BSS・RSK・RCC・KRYは山陽コカ・コーラ。RNC・RKC・RNB・JRTは四国コカ・コーラ。KBC・NBCは北九州コカ・コーラ。OBS・RKK・MRT・MBCは南九州コカ・コーラ。ROKは沖縄コカ・コーラ。
- ^ 上野修 著『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年6月20日、79頁。NDLJP:12276169/42。
- ^ 季刊ランラジオ(自由国民社)1975年1月号掲載の各局番組表より。
ニッポン放送 日曜日 午前11:00 - 11:30枠 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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欽欽乃欽欽学学教室 ↓ 欽欽のトッピンシャン
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