森林法(しんりんほう、昭和26年6月26日法律第249号)は、森林生産力向上を目的とした森林行政に関する基本法である。
保護・監督の行政規定と盗伐などに対する特別刑法を内容とする。森林・林業基本法の基本計画と長期見通しに即した森林計画の樹立、保安林・保安施設地区の指定、施業・測量のための他人の土地使用、森林審議会などについて規定している。
1987年4月22日に最高裁は共有林分割制限規定(第186条)[注 1]につき、憲法29条2項(財産権の保障)に照らし違憲無効とし、当該規定は1987年6月2日の第五次改正で削除された[2][1](森林法共有林事件)。
旧・森林法(明治30年4月23日法律第43号)[1](1897年4月12日公布、1898年1月1日施行)が成立した当初は、森林計画制度そのものは存在しておらず、あくまで営林監督に止まっていた。これは、荒廃する私有林に対して環境保全的な側面から指示・監督するものであった。その後の昭和14年改正では、戦争遂行のための資源確保の色彩が強まる。そして旧・森林法を全面改廃する形で、現行の森林法(昭和26年法律第249号)が第二次世界大戦後の昭和26年に成立することとなる[1](1951年6月26日公布、伐採制限など)。これにより、再び環境保全および施業規制の性格を帯びるようになる[4]。令和2年(2020年)現在までに、現・森林法は大型改正だけでも9回行われており[注 2]、社会の変化に即して変容してきた[5]。
森林法改正にはいくつかターニングポイントがあるが、その一つが昭和37年(1962年)の第三次改正である。これにより、普通林広葉樹の伐採許可制が廃止となって届出制に移行したことから、国家による森林保全の統制が弱まることとなった[6]。第三次改正と連動する形で、昭和39年(1964年)には林業基本法も制定されている[5]。
続いて昭和43年(1968年)の第四次改正では、森林保有者を木材生産業に取り込んでいくため、個別経営への森林施業計画制度が導入されている[7]。なお、日本の1960年代はいわゆる高度経済成長期にあたり、60年代の実質成長率は平均10.7%と高水準を記録している。それ以前の50年代は8.8%、鈍化した70年代は4.5%の平均成長率である[8]。この森林施業計画により、個人の森林所有者に植林と伐採を計画策定させることとなり、すなわち国家管理体制の強化に揺り戻しとなっている[9]。
第2次オイルショック後の1980年代に入ると、日本では木材価格の下落傾向が長期継続することとなる。1950年代から60年代が積極的な造林・人工林であったのに対し、1980年代以降は里山林の放置による自然植生へとシフトしていった[10]。