松平 重則(まつだいら しげのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。上総国百首藩主、下野国皆川藩初代藩主。官位は従五位下・内膳正、大隅守。
生涯
天正8年(1580年)、松平重勝の三男として誕生。
慶長3年(1598年)から徳川秀忠の家臣として仕えるようになり、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、秀忠に従って信濃国上田城攻めに参加した。その後、伏見城や二条城の城番となり、慶長18年(1613年)には御徒士頭となる。元和2年(1616年)に秀忠の弟・松平忠輝が改易された際、その蟄居を伝える使者役を務めた。
元和7年(1621年)1月21日に大番頭となる。寛永3年(1626年)12月に叙任する。寛永10年(1633年)4月23日、4000石を加増されて合計1万500石の大名となり、上総百首藩主となる。
寛永17年(1640年)に下野皆川藩に移封されたが、翌年12月27日に死去した。享年62。跡を長男・重正が継いだ。
重則流 能見松平家初代当主(1598年 - 1641年) |
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宗家 | |
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重則流 | |
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勝隆流 | |
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能見松平氏 百首藩藩主 (1633年 - 1640年) |
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能見松平氏 皆川藩初代藩主 (1640年 - 1641年) |
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皆川家 | |
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能見松平家 | |
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米倉家 | |
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