米倉 昌照(よねくら まさてる)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。下野国皆川藩3代藩主。六浦藩米倉家3代。官位は従五位下・丹後守。
生涯
天和3年(1683年)、2代藩主・米倉昌明の次男として誕生[1]。正室は石川憲之の娘。
元禄5年(1692年)11月1日、5代将軍・徳川綱吉に拝謁し、元禄15年(1702年)の父の死去により跡を継ぐ。宝永6年(1709年)9月1日に叙任し、正徳元年(1711年)に大坂城守衛となるが、翌正徳2年(1712年)5月23日、大坂で死去。享年30。
跡を養子・忠仰(柳沢吉保の六男)が継いだ。
系譜
父母
正室
養子
脚注
- ^ 昌照の生年は天和3年(1683年)と言われているが、もしそうだとすると、父親の昌明が11歳(しかも数え年)で生まれた息子であるということになる。しかも次男である。このため、昌照の生年はかなり疑わしく、もっと年齢を繰り下げる必要があるとも思われる。一説には昌明の父・昌尹の子ではないかともされている。
米倉氏 皆川藩3代藩主 (1702年 - 1712年) |
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皆川家 | |
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能見松平家 | |
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米倉家 | |
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