松尾 トシ子(まつお トシこ、1907年(明治40年)7月14日[1][2] – 1993年(平成5年)6月3日[3][注 1])は、日本の政治家、衆議院議員(6期)。旧姓斎藤[2]。
神奈川県横浜市出身[1]。フェリス和英女学院から日本女子大学を経て[1]、サンモール学院卒[2]。横浜YMCAで英語教師を務め、横浜印書学校(のち日本女子英学院)を創立し、院長となる[2]。
1946年の第22回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で神奈川県(大選挙区制、全県一区)から立候補して初当選、以後6期当選した。在職中の1949年日本大学法文学部を卒業した[1][4]。党内では中央執行委員や代議士会副会長などを歴任した[4]。その後は民主社会党に移ったが、1960年の第29回衆議院議員総選挙で落選した。落選後は自由民主党に入り、県連相談役となった[4]。
このほか横浜市民信用組合理事長、神奈川県信用保険協会、県経済委員会各理事、県主婦連盟会長、松尾興産(株)、松栄開発(株)各社長などを務めた[4]。