東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本の写真家。
戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。
愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。学内新聞に発表した「皮肉な誕生」が反響を呼ぶ。卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフになる。
1956年 - フリーとなる。1958年 - 「地方政治家」を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞受賞。
1959年 - 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)。
1961年 - 土門拳らと広島、長崎の被爆者、被爆遺構などを取材、『hiroshima-nagasaki document 1961』(第5回日本写真批評家協会作家賞)を刊行。1963年 - 雑誌『太陽』の特派員としてアフガニスタンを取材、翌年『太陽』5月号でアフガニスタン特集が組まれる[1]。
1968年 - 写真集『サラーム・アレイコム』を自身の出版社「写研」より刊行[1]。1969年 - 雑誌『アサヒカメラ』の特派員として沖縄を取材[1]。写真集『沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある』を出版。
1972年 - 沖縄に移住。
1974年 - 「New Japanese Photography」展(ニューヨーク近代美術館)出品、 荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講。1975年 - 写真集『太陽の鉛筆』で日本写真協会年度賞、翌年芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞受賞。
1984年 - 「SHOMEI TOMATSU Japan 1952-1981」展(ウィーン近代美術館など)。1992年 - 「SAKURA +PLASTICS」展(メトロポリタン美術館)。
1995年 - 紫綬褒章受章。
1998年 - 長崎に移住。1999年 - 「日本列島クロニクル―東松照明の50年」展(東京都写真美術館)開催、日本芸術大賞受賞(新潮文芸振興会主催)。2000年 - 「長崎マンダラ展」(長崎県立美術博物館)。
2002年 - 「東松照明展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館)開催。アフガニスタン支援を目的に巡回写真展「アッサラーム・アレクイン」を開始[1]。2003年 - 「東松照明の写真 1972-2002」展(京都国立近代美術館)開催。中日文化賞受賞[2]。
2004年 - 「Skin of the Nation」展(ワシントン、サンフランシスコを巡回)。
2005年 - 日本写真協会功労賞受賞。
2006年 - 「愛知曼陀羅-東松照明の原風景」展(愛知県美術館)。 2007年 - 「東松照明:Tokyo曼陀羅」展(東京都写真美術館)。2011年 - 「東松照明写真展「太陽へのラブレター」」(沖縄県立博物館・美術館)。
2012年 - 12月14日、肺炎のため那覇市内の病院で死去[3]。
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