服部 謙太郎(はっとり けんたろう、1919年4月6日 - 1987年9月1日)は、日本の経営者。服部時計店(現・セイコーグループ)の第4代社長・会長を務めた。
父方の祖父は服部時計店創業者で「日本の時計王」と呼ばれる服部金太郎。母方の祖父は外交官・宮内官僚の上野季三郎。父は服部時計店第2代社長の服部玄三。叔父(父の弟)は第3代社長の服部正次。弟は第5代社長の服部禮次郎。次男は第10代社長の服部真二。従弟はセイコーインスツル元社長、セイコーエプソン初代社長の服部一郎。岳父(妻の父)は日本ゴム株式会社元社長、日本放送協会(NHK)元会長の永田清。甥はヴァイオリニスト・指揮者の服部譲二。
経歴
東京都出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、大学予科を経て、1940年に慶應義塾大学経済学部を卒業。1951年6月に第二精工舎取締役に就任し、1964年6月には服部時計店専務に就任し、1967年12月に副社長を経て、1974年7月には社長に就任した。社名は変更した1983年6月に会長に就任[2]。
1980年11月に藍綬褒章を受章。
1987年9月1日、膵臓癌のために死去[3]。68歳没。
脚注
- ^ 1983年 4月12日 日本経済新聞 夕刊 p2
- ^ 1987年 9月1日 日本経済新聞 夕刊 p13
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。