日本寮歌祭(にほんりょうかさい)は、旧制高等学校卒業生を中心とする日本寮歌振興会が主催している寮歌に対する祭典。1961年(昭和36年)10月7日に文京公会堂で第1回が開催され[1]、以後日比谷公会堂や日本武道館などを会場に毎年秋に開催され、日本テレビ系列で1時間の枠組みで放映されたこともあった[注釈 1]。2001年の第41回以降は、従前、各校の同窓会単位での参加であったのが個人参加と宴会方式の開催に変更され、新宿NSビルイベントホールを会場として開催されていた。
しかし、年月を経るにつれ参加者の高齢化により運営に困難をきたしたことなどから[注釈 2]、2010年(平成22年)の第50回開催をもって一旦、閉幕した[3]。
50回閉幕以降、全国各地で寮歌祭を実施しつつ再開を模索したが、2018年に東京で行われている「中央寮歌祭」を改めて、2019年に「第59回日本寮歌祭」を開催することを決め、8月4日にホテル・ランクウッドで59回寮歌祭を復活開催した [4]。
参加校は狭義の旧制高校に限らず、大学予科や陸軍士官学校・海軍兵学校などの旧制教育機関にも門戸を開いていた。また、最初の頃は新制大学側などからの参加もあり、旧制教育機関関係者が主な参加主体になってからも、後身の新制学校OBが旧制時代のOBに混じって参加した例がある(東京高等師範学校→東京教育大学→筑波大学など)。
概要
寮歌を伝えるという運営方針のもとで広く門戸を開き、2019年の59回寮歌祭復活に際しては、旧制、新制の区別をつけないとしている。
第1回の発起人は作曲家の呉泰次郎であったが、呉は旧制高校が寮歌祭の主体となっていくことに不満を抱いて運営から遠ざかり、第3回まで日本寮歌振興会委員長を務めた後は同役を退任して会長となり、第4回以降は医師の神津康雄(旧制山形高校出身)が委員長となって運営の中心となった[注釈 3]。日本寮歌振興会の歴代会長には安川第五郎、稲山嘉寛、藤林益三などの著名人が名を連ねた。また、日本寮歌振興会は旧制高校復活運動や旧制高等学校記念館創設、寮歌のレコードの録音なども手掛けた。
寮歌祭の参加形式は、各校の参加者が在校当時の姿を思わせる高下駄を履いたバンカラ学生に扮して寮歌を歌うというものが主体だったが、哈爾濱学院の現地の民族衣装、旧高等商船学校(現・東京海洋大学)のセーラー服などの例外もあった。
第50回閉幕まで、プライドが高い高齢の参加者による喧嘩や口論が絶えず[5]、戦前のエリート学生の内輪の懐古趣味祭典といった趣を最後まで払拭することができなかった。
会場
- 第1回〜第3回 - 文京公会堂
- 第4回 - 日比谷野外音楽堂
- 呉泰次郎は、上述の寮歌祭のあり方に対する不満などから第3回で開催を打ち切るつもりで第4回の会場を抑えていなかったため、神津が会場探しを始めた段階では会場が空いておらず、異例の野外音楽堂での開催となった[6]。
- 第5回〜第6回 - 日比谷公会堂
- 第7回〜第20回 - 日本武道館
- 第21回〜第40回 - 日比谷公会堂[7]
- 第41回〜50回 - 新宿NSビルイベントホール
参加校
- 軍学校
- 現大学(旧制高等学校)
脚注
注釈
- ^ ただし、1988年(昭和63年)は昭和天皇の重病のため自粛となり開催されなかった。
- ^ 日本武道館および日比谷公会堂からの撤退もそれが一因であった[2]。
- ^ 神津は第1回日本寮歌祭の報に接して「寮歌祭というからには旧制高校がもっと参加しなければ有名無実」と感じ山形高校の参加を推進した、と語っている[1]。
出典
参考文献
- 神津康雄『青春の譜 日本寮歌祭30年の歩み』(1990年、国書刊行会)
- 日本寮歌振興会編『日本寮歌祭四十年史』(2000年、国書刊行会)
- このほか、2000年の第40回日本寮歌祭の映像が国書刊行会から発売されている(VHS、全3巻。委員長挨拶、檄文朗読、会長挨拶なども収録)。