建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、京都市北区紫野北舟岡町にある神社。旧社格は別格官幣社で元・別表神社。船岡山の中腹にある。織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀する。正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、「建勲(けんくん)さん」と通称される[1]。旧称健織田社(たけしおりたのやしろ)、建勲社(たけいさおしゃ)。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつである。
1869年(明治2年)11月8日、「日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた信長のおかげ」として[2]、戦国時代を天下統一、朝儀復興などを進めた織田信長を賛えるための健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が明治天皇により決定された。翌1870年(明治3年)10月17日、「建勲」の神号を賜り、信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の東京の邸内と織田家旧領地の山形県天童市に建勲社が造営された(天童市に造営された建勲社については建勲神社 (天童市)を参照のこと)。1875年(明治8年)4月24日に別格官幣社に列格した。
現在地の船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し、完成しなかったとはいえ豊臣秀吉によって信長の廟所・天正寺の境内地と定められた場所であった。その船岡山に神社を移すことになり、1880年(明治13年)9月、社殿が竣工して東京より遷座した。なお、この時は現在表参道を少し登ったところにある「大平和敬神」の石碑が建っている場所に本殿があった。1881年(明治14年)に織田信忠が合祀されている。1910年(明治43年)に社殿が現在の山頂部分に移建された。
戦後、近代社格制度の廃止に伴い1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されたが、2019年(令和元年)に神社本庁から離脱した。
祭神・織田信長の業績にちなみ、国家安泰・難局突破・大願成就の神社とされる。高台にある境内からは特に大文字山・比叡山方面の眺望が良い。また、大鳥居は京都府内最大の白木の鳥居である。
永禄11年(1568年)の信長上洛の日に因み、10月19日に船岡大祭が行われる。
各地に勧請社がある。
岐阜県岐阜市若宮町の橿森神社では、信長が美園で開いた楽市・楽座の市神が橿森神社の御神木に祀られたという伝えがあり、明治になって境内に建勲神社を勧請した。