平佐村(ひらさむら)は鹿児島県の北西部、薩摩郡に属していた村。1929年(昭和4年)5月20日に隈之城村、東水引村と合併し、川内町(1940年に市制施行し川内市)となり、自治体としては消滅した。
概要
川内平野の東部、川内川の南岸に位置しており、村の西端には川内町駅(のちの川内駅)が置かれ、鹿児島本線と宮之城線の分岐駅となっており、村の北端の楠元には楠元駅、西部の中には吉野山駅が設置された。
平佐村は天辰、平佐、楠元、中、久住の5大字から構成されており[2]、現在の薩摩川内市天辰町、平佐町、白和町、鳥追町、横馬場町、楠元町、中村町、久住町にあたる。村役場は大字平佐字横木に置かれていた。
沿革
江戸時代には薩摩藩の行政区域であった「平佐郷」に属していた村が町村制施行により合併し平佐村として成立した。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴いそれまでの平佐郷の区域であった白和町、天辰村、平佐村、楠元村、中村、久住村より、平佐村が成立。白和町は大字平佐の一部となり、その他の村は平佐村の大字となった。
- 1929年(昭和4年)5月20日 - 平佐村が隈之城村、東水引村と合併し川内町となる。
行政
歴代村長
町村制施行以降の村長を記載する。『川内市史 下』169頁から170頁の表記に基づく。ただし、旧字体については新字体に置換えるものとする。
代 |
氏名 |
就任期間
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初代村長 |
落合訓彌 |
1889年 - 1891年
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二代村長 |
広瀬昌柔 |
1891年 - 1895年
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三代村長 |
田中弥七郎 |
1895年 - 1898年
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四代村長 |
平島周介 |
1898年 - 1901年
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五代村長 |
竜岡仁七郎 |
1901年 - 1905年
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六代村長 |
落合訓彌 |
1905年 - 1908年
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七代村長 |
宮内多吉 |
1908年 - 1913年
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八代村長 |
落合訓彌 |
1913年 - 1918年
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九代村長 |
小牧良光 |
1918年 - 1927年
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十代村長 |
小原助市 |
1927年 - 1929年
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人口
以下の人口遷移表は『川内市史 下』の別表の記述に基づく。
- 凡例
教育
交通
鉄道
河川
脚注
- ^ a b 『平佐の歴史』p.53 - 宮内吉志 1987年
- ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.552
関連項目