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プロスノーボーダーの「布施忠」とは別人です。 |
布施 正(ふせ ただし、1921年9月23日 - 2001年6月11日)は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた調教師。宮崎県出身。
父は布施文蔵(元調教師)、義理の弟(妹の夫)に二分久男(元調教師)、義理の息子(娘たちの夫)に新川恵(元調教師)、岩元市三(調教師)、柴田光陽(調教師)らがいる。
来歴
尋常小学校を修了後、旧制宮崎中学(現・宮崎県立宮崎大宮高等学校)に通いながら、宮崎競馬場の父・布施文蔵の厩舎で騎手見習となる。1937年、中学を4年で中退し、阪神競馬場の新堂捨蔵厩舎に弟子入りする。1943年12月、兵役に就く。1945年12月、復員。
1947年、騎手免許を取得し、新堂捨蔵厩舎に所属する。1949年、小倉競馬場の父・布施文蔵厩舎に移籍する。
1952年、調教師免許を取得し、小倉競馬場で開業。翌1953年、阪神競馬場に移籍。
1966年、日本経済新春盃のパワーラツスルで重賞初制覇。
1969年、栗東トレーニングセンター開設にともない阪神競馬場から栗東へ移転する。
1976年から1985年まで日本調教師会副会長・関西本部長を務める。
1989年、管理馬のバンブービギンがJRA賞最優秀父内国産馬を受賞する。
1997年、2月24日に阪神競馬場で行われた引退式に参加し、2月28日付で調教師を引退した。調教師成績は、中央競馬通算8337戦817勝。
2001年、6月11日に栗東町(当時)の済生会病院で死去。79歳没。
おもな管理馬
おもな厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 二分久男(1962年-1965年 騎手)
- 新川恵(1973年-1978年 騎手)
- 岩元市三(1974年-1989年 騎手)
- 石栗龍彦(1981年-1984年 厩務員、調教助手)
参考文献
- 『優駿』2010年6月号 江面弘也「続・名調教師列伝 第4回 布施正」
関連項目
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三冠 |
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牝馬三冠 |
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★印は三冠競走を単年度で全勝した経験を持つ者(調教師の国枝栄は複数回達成) |