小西 賢一(こにし けんいち、1968年6月23日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー[1]。埼玉県出身[1]。血液型はA型。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。
来歴・人物
東京アニメーター学院卒業後[2]、1989年研修生の第一期生としてスタジオジブリに入社[1][3][注 1]。『耳をすませば』(1995年)、『もののけ姫』(1997年)等で原画を担当し、高畑勲監督の『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)で作画監督を務めた。
1999年、フリーランスとなる[1]。その後、スタジオジブリ作品に継続して参加する傍ら、数々の劇場作品を中心に活動していく。
今敏監督作品へは『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』参加中に濱洲英喜から誘われ、『千年女優』に作画監督・原画として初参加。次作の『東京ゴッドファーザーズ』では監督から指名され、共同でキャラクターデザイン・作画監督を手がける。
2006年に公開した映画『ドラえもん のび太の恐竜2006』では作画監督を務めた[6]。2004年の映画『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』に原画として参加した際の小西のフォルムや表現の感じが素晴らしいと思った監督の渡辺歩によるオファーだった[6]。この作品はテレビシリーズとは絵のタッチが異なり、『ホーホケキョ となりの山田くん』でも使われた鉛筆の手書きタッチを生かした作画である[7][8]。キャラクター設定も、渡辺の要望で彼が描いたテレビ版とは変えている[7]。
2013年公開の『かぐや姫の物語』で再び高畑作品の作画監督を務めた[9][注 2]。
2019年の『海獣の子供』[注 3]、2021年の『漁港の肉子ちゃん』と、連続して渡辺歩監督の劇場作品で総作画監督とキャラクターデザイナーを務めた。
参加作品
劇場アニメ
テレビアニメ
OVA
ゲーム
PV
脚注
注釈
- ^ 映画『おもひでぽろぽろ』(1991年公開)制作スタッフの研修生だった。同じ時に採用試験を受けた中で16人が採用され、入社時期によって第一期と第二期に分けられた。この時採用されたのは、ほかに安藤雅司、笹木信作、村田和也、吉田健一など[4]。また、細田守もこの試験を受けていた[5]。
- ^ 本作のプロデューサーである西村義明は原画の制作状況を振り返り、「中でも小西さんがいちばん大変だというのがあったから。小西さんがあれだけ頑張ってるんだから、こっちも弱音なんか吐いてられないね、という雰囲気があったんですよ。」と述べている。
- ^ 制作会社STUDIO 4℃の田中栄子プロデューサーは、小西にはまず最初に監督のオファーを出したと言っているが、小西自身は憶えていないという[1]。
- ^ 「Team ニコ」として神谷友美、袖山麻美、林佳織、信田ユウとともにおこなった。
出典
関連項目