小松川大橋(こまつがわおおはし)は東京都江戸川区の荒川(荒川放水路)および中川に架かる国道14号(京葉道路)の橋である。小松川橋と呼ばれることもある[1]。
下り線と上り線が方向別に架橋されており、後者は新小松川大橋と称されている。
概要
荒川の河口から4.6 km[2][3]の地点に架かる橋で、左岸は江戸川区西小松川町と松島一丁目を分かち、右岸は江戸川区小松川四丁目に至る。すぐ下流側で荒川大橋が架かる首都高速7号小松川線と平行し、荒川と中川を隔てる背割堤で首都高速中央環状線の下をくぐる。
橋の全長は1969年(昭和44年)開通の小松川大橋は橋長698.6メートル、幅員15.25メートルの1等橋(TL-20)で、歩道は小松川大橋は上流側、新小松川大橋は下流側に設置されている。
橋の管理者は関東地方整備局 東京国道工事事務所で[3]、災害時に防災拠点等に緊急輸送を行なうための、東京都の特定緊急輸送道路に指定されている[4]。橋は前後のアプローチ区間も含め自転車の車道走行が禁止されており、その旨を示す道路標識も橋の入口に設置されている。
歴史
1922年の橋
橋は1924年(大正13年)10月通水を開始した荒川放水路[5]の掘削に先駆けて1922年(大正11年)6月30日に小松川橋がRC(鉄筋コンクリート)橋脚を持つ木桁橋として開通した
[6]。橋長489メートル、幅員6.4メートル。また、同時期に小松川小橋が中川に架けられた[7][8]。橋長123メートル、幅員6.4メートル。架橋位置は現在の新小松川大橋の位置に架かっていた[9]。
1941年の橋
1934年(昭和9年)11月小松川橋の下部工の建設に着手し、80万円の工費を投じて1937年(昭和12年)11月に完了し[10]、引き続き上部工が建設され
総工費247万円を投じて[11]
今までの橋の川上側に並行して[9]永久橋として架け替えられて1941年(昭和16年)10月竣工され[12]、小松川橋が開通した[注釈 1]。竣工式は同年11月20日に川西實三東京都知事が参列する中橋詰にて行なわれた[11]。橋長656メートル[13](荒川渡河区間500.9メートル、中川渡河区間130.45メートル[11][12]、その他24.65メートル)、幅員18.0メートル(車道11.5メートル、歩道3.25メートル×2)、支間長54メートル。荒川低水路に架かる主径間は5連の鋼下路ブレースドリブタイドアーチ橋で[13]、荒川高水敷および中川は共に単純鋼鈑桁橋(プレートガーダー)を有していて[10]、当時として東洋一の規模の橋であった[14]。上部工の施工は桜田機械(サクラダ)が担当した[13]。また、橋脚である下部工は井筒基礎および杭基礎を使用していた。
1968年・1973年の橋
1968年(昭和43年)12月[15]上り線となる新小松川大橋が今までの橋の川下側に並行して[8]鋼連続箱桁橋として竣工され[16]、1969年(昭和44年)4月8日開通した[17]。橋長698.6メートル(荒川渡河区間529.1メートル[18])、幅員15.25メートル(内、歩道2.25メートル)。上部工の施工は宮地鉄工所(現、宮地エンジニアリング)が担当し、架設工法として手延式工法(送り出し工法)が採用された[15]。旧橋は新小松川大橋の開通後は解体撤去された[19]。
1973年(昭和48年)3月に下り線となる小松川大橋が旧橋の位置に新設され[20][21][17]、開通した。
周辺
国道14号の橋の前後は4車線だったが、6車線化の拡幅事業が行なわれ、右岸側は2011年(平成23年)3月10日に完了している[4]。
隣の橋
- (上流) - 平井大橋 - 総武本線荒川橋梁 - 小松川大橋・新小松川大橋 - 荒川大橋 - 船堀橋 - (下流)
脚注
注釈
- ^ 土木学会図書館では1941年(昭和16年)11月24日開通と記されている。
出典
参考文献
座標: 北緯35度42分03秒 東経139度51分24秒 / 北緯35.70083度 東経139.85667度 / 35.70083; 139.85667