娘日帰泥(じょうじつきでい[疑問点 – ノート])とは、章太炎による、清・銭大昕の中古音の「古無舌上音」説への補完である。
隋の601年に完成した韻書『切韻』によると、同時代の中国語の中古音には既に舌上音(歯茎硬口蓋音またはそり舌音)と舌頭音(歯茎音)の2種類の舌音があった[1][2][3]。舌頭音とは、「端」[*t]、「透」[*tʰ]、「定」[*d]、「泥」[*n] 4母の歯茎音、舌上音とは「知」[*ʈ]/[*ȶ]、「徹」[*ʈʰ]/[*ȶʰ]、「澄」[*ɖ]/[*ȡ]、「娘」[*ɳ]/[*ȵ] 4母の反舌音または歯茎硬口蓋音[4]である。その一方で、『切韻』の字母には「日」母([*ȵʑ]/[*ȵ])[4]という半歯音もあった[1][2][5]。
これについて清の銭大昕は自身の研究により『十駕斎養新録』に「古無舌頭、舌上之分,知、徹、澄三母,以今音讀之,與照、穿、床無別也﹐求之古音﹐則與端﹑透﹑定無異」[6](古え舌頭・舌上の分無く、知徹澄の三母は…これを古音に求むれば、則ち端透定と異なるなし)と云う。さらに、銭は『潜研堂文集』に「古人讀陟、敕、直、恥、豬、竹、張、丈,皆為舌音…此可證古音直如特」[7](古人は「陟勅直恥猪竹張丈」を舌音で読み…故に古音の「直」[注 1]は「特」[注 2]の如し)と述べ、「知徹澄」3母は上古音では「端透定」と一緒だったことが分かる。後輩の言語学者による方言(特に閩語)の研究で、舌上音「知徹澄」は上古音の舌音「端透定」から分化したものだと分かった。
しかし、銭は同組の「娘」母と「泥」母の関係について何も触れていない。音価が近く同じく鼻音の「日」母にも言及していない。
清末民初の学者章炳麟(号・太炎)は『国故論衡・古音娘日二紐帰泥説』に、「古音有舌頭泥紐。其後支別,則舌上有娘紐,半舌半齒有日紐,於古皆泥紐也」[8](古音に舌頭音の「泥」母有り。其の後支離し,舌上の「娘」母、半舌半歯の「日」母が生ずれども,古代には皆「泥」母なり)という説を唱えている。すなわち、切韻時代(隋)から既存の「娘」「日」母いずれも上古の「泥」母から分化したものである。
例として挙げられるのは、次の通り: