外池 大亮(とのいけ だいすけ、1975年1月29日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手。現役時代はフォワード、ミッドフィールダー、ディフェンダーとさまざまなポジションをこなした。
来歴
プロ入り前
早稲田実業高校から早稲田大学へ進んだ。7歳からサッカーを始め、大学4年のときにプロ入りを目指すようになった[1]。
Jリーグ選手時代
1997年にベルマーレ平塚に加入。プロ入り当時は長身を生かしたヘディングを武器にフォワードとして活躍。1997年5月10日Jリーグ1stステージ第8節ベルマーレ平塚対サンフレッチェ広島がプロデビュー戦。この試合で初ゴールを決め、かつVゴールでチームに勝利をもたらした。1999年、チームの親会社撤退による経営縮小を迫られ、主力選手を放出する中、開幕前はDFにコンバートされチームを引っ張る。J1残留争いに苦しむチームは、終盤再び外池をストライカーに指名した。
2000年、横浜F・マリノスに移籍。2001年8月からは期限付き移籍で大宮アルディージャでプレー[2][3]。2002年は横浜FMに復帰。所属中期にはレギュラーとして活躍するも、低迷するチームの変換期に差し掛かり、2002年シーズン終了後に戦力外通告を受ける。
2003年、ヴァンフォーレ甲府にトライアウトの末入団。ヴァンフォーレ甲府では、身体能力の高さと豊富な経験を買われてボランチにコンバートされ、レギュラーの座を勝ち取る。特にシーズン前半ではチームの強い牽引力となった。
2004年、サンフレッチェ広島に移籍。
2005年、モンテディオ山形に移籍。
2006年、湘南ベルマーレに復帰。副キャプテンを任され、同年5月3日のヴィッセル神戸戦では復帰初ゴールを記録した。2007年は背番号をデビュー時の19に戻し、ポジションも自ら志願して再びフォワードに変更[4]。また、選手会長に選任される。同年11月25日、ホーム最終戦で選手会長としての挨拶の後、涙ながらに自身の引退を発表。監督の菅野将晃など、ごく一部の関係者以外には極秘にされていた。
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
1993 |
早大 |
|
- |
- |
- |
2 |
1 |
2 |
1
|
1996 |
|
- |
- |
2 |
0 |
2 |
0
|
1997 |
平塚 |
19 |
J |
9 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
9 |
3
|
1998 |
8 |
1 |
4 |
2 |
0 |
0 |
12 |
3
|
1999 |
5 |
J1 |
24 |
4 |
2 |
0 |
1 |
1 |
27 |
5
|
2000 |
横浜FM |
19 |
25 |
8 |
6 |
3 |
3 |
0 |
34 |
11
|
2001 |
7 |
0 |
3 |
0 |
- |
10 |
0
|
大宮 |
9 |
J2 |
12 |
4 |
- |
1 |
0 |
13 |
4
|
2002 |
横浜FM |
14 |
J1 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0
|
2003 |
甲府 |
17 |
J2 |
43 |
7 |
- |
3 |
1 |
46 |
8
|
2004 |
広島 |
4 |
J1 |
6 |
0 |
5 |
0 |
0 |
0 |
11 |
0
|
2005 |
山形 |
5 |
J2 |
19 |
0 |
- |
2 |
1 |
21 |
1
|
2006 |
湘南 |
6 |
14 |
1 |
- |
0 |
0 |
14 |
1
|
2007 |
19 |
13 |
1 |
- |
0 |
0 |
13 |
1
|
通算 |
日本 |
J1
|
82 |
16 |
20 |
5 |
4 |
1 |
106 |
22
|
日本 |
J2
|
101 |
13 |
- |
6 |
2 |
107 |
15
|
日本 |
他
|
- |
- |
4 |
1 |
4 |
1
|
総通算
|
183 |
29 |
20 |
5 |
14 |
4 |
217 |
38
|
その他の公式戦
- Jリーグ初出場 - 1997年5月10日 J・1st 第8節 対サンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)
- Jリーグ初得点 - 1997年5月10日 J・1st 第8節 対サンフレッチェ広島戦(広島ビッグアーチ)
脚注
関連項目
外部リンク