坂本 宗太郎(さかもと そうたろう、1884年(明治17年)12月15日[1] - 1968年(昭和43年)12月25日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。
埼玉県秩父郡横瀬村出身[3]。1907年東京高等工業学校卒[2]。郷里で織物工場を経営し、横瀬村議、秩父織物工業組合理事長、埼玉織物連合会長[2][3]などを歴任し、1937年の第20回衆議院議員総選挙で埼玉2区(当時)から無所属で立候補して初当選。1942年の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けて当選した。戦後、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となり[4]、追放解除後も立候補することはなかった。1964年死去。
この他三共自動車[3]、秩父会館各社長[2][3]、坂善青年学校校長[2][3]なども務めた。