園部町法京(そのべちょうほうきょう)は、京都府南丹市の地名。2006年(平成18年)1月1日[6]の南丹市発足以前は、船井郡園部町の大字・法京(ほうきょう)であった[7]。近年は、「ホタルの里」として保護活動に取り組んでいる[8]。
本項では現在の地名について園部町法京、または法京として記述する。
法京は、園部町の西側に位置する山間地域。園部町天引(あまびき)との境は、法京ゆず二号橋、園部町大河内(おおかわち)との境はかわちはし(橋)である。
南丹市が公示している園部町法京の住所は次の通りである[9]。正確には、以下に掲げられる地名に「園部町法京」を冠したものが南丹市の字(小字)名である[10]。
2024年(令和6年)5月1日現在の世帯数と人口[3][11]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
法京で最も多い姓は「大町」、次に「原田」「井上」「足立」姓がある[18]。
平安時代、花山天皇(花山法皇)がこの地を訪れた際に寺を建立。「法の都『法京』と名付けよ」と言われたのが始まりだと伝わっている[22]。
「法京にはサルが出たことがない」と住民たちは口を揃えて言う[23]。不可解なことに、法京と同じ山間地である周辺の集落(大河内や埴生、天引など)ではサルが出没しており、法京ではサルは出なくてもシカやクマによる獣害は発生している[24]。
園部町法京と天引の間を流れる川には深い所がある。そのそばに大きな岩があり、昔、何かが老婆に化けて岩の上で糸繰りをしていたという。その淵は「ばばカ淵」と呼ばれている[25][26]。昔、婆が淵(ばばカ淵)に老婆を沈めてから、時々幽霊のような婆が出るようになった[27]。
同じ南丹市内であっても、園部MAの園部町法京と、亀岡MAの八木町地区の相互通話には、市外局番 (0771)が必要である[5]。
携帯電話の大手キャリアのほとんどで通信ができない圏外村であったが、2022年(令和4年)ごろ、NTTドコモのアンテナ設備が設置されて圏外が解消された。
市立小・中学校及び府立高校の学区(校区)は以下の通りとなる[33][34]。
法京の特産品としてゆずがある。湖池屋より、法京などの南丹市産ゆずを使った「湖池屋プライドポテト JAPAN 京都 柚子七味」が販売されている。南丹市内の道の駅などでは、法京産のゆずジャムも販売されている。
災害情報や行政情報などを、音声で伝える通信設備。家庭などに設置している「戸別受信機」と小学校などにある「屋外拡声子局」から音声が発せられる。区などに貸し出されている「地区遠隔制御装置」からも集落内放送ができる。
毎日12時と17時には、動作確認として時報の音楽が流される。12時が「エーデルワイス」、17時が「夕焼け小焼け」。
火災時にサイレン吹鳴がある。法京では毎月1日21時、動作確認と火災予防啓発のため、サイレン吹鳴が実施される。そのほか、春と秋の火災予防週間にも鳴らされる。
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青戸 | 池上 | 池ノ内 | 大藪 | 刑部 | 神吉 | 観音寺 | 北廣瀬 | 北屋賀 | 木原 | 柴山 | 玉ノ井 | 鳥羽 | 西田 | 野条 | 日置 | 氷所 | 船枝 | 美里 | 南廣瀬 | 室河原 | 室橋 | 諸畑 | 屋賀 | 八木 | 八木嶋 | 山室
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