呉座 勇一(ござ ゆういち、1980年〈昭和55年〉[1][2]8月26日[3] - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史[1][2]。学位は、博士(文学)(東京大学)。ベストセラーとなった新書『応仁の乱 ― 戦国時代を生んだ大乱 ―』の著者。『応仁の乱』で書店新風賞 特別賞を[12]、『戦争の日本中世史』で角川財団学芸賞を受賞[11]。2024年12月現在、国際日本文化研究センター研究部助教(専任教員)[21][22]。
日本史における陰謀論を検証してパターン化した『陰謀の日本中世史』や[25]、戦国武将の評価やイメージの変遷を分析した『戦国武将、虚像と実像』[26][27]も執筆。2020年刊行の講談社学習まんが『日本の歴史』では平安後期から応仁の乱までの監修を担当した[28]。2019年には信州大学の教育研究に対する寄付という貢献により、紺綬褒章を受章している[14][8]。
東京大学文学部、東京大学大学院人文社会系研究科、同「日本史学研究室」の出身。日本学術振興会特別研究員(DC1)[30]、東京大学史料編纂所で日本学術振興会特別研究員(PD)[31]、東京大学大学院人文社会系研究科 研究員、同総合文化研究科 学術研究員、立教大学兼任講師、国際日本文化研究センター客員准教授、同助教、同機関研究員、信州大学特任助教を歴任。
来歴・人物
生い立ち、学生時代
1980年に東京都で生まれ[32]、1999年に海城高等学校を卒業[4]。2003年3月に東京大学文学部を卒業。五味文彦や村井章介のゼミに所属していたといい、大学院進学後は日本史学研究室に所属し、村井の指導を受ける。秋山哲雄に誘われ、修士課程1年生の頃から歴史学研究会日本中世史部会の運営委員に加わったという。2005-2007年度に日本学術振興会特別研究員(DC1)に採択[30](テーマは「日本中世の一揆および中世後期東国社会の研究」[30])。2008年に東京大学大学院人文社会系研究科博士課程を単位取得退学する。
東京での研究員時代
2008-2010年度は東京大学史料編纂所の榎原雅治のもとで、日本学術振興会特別研究員(PD)を務める[31](研究テーマは「日本中世の地域社会における集団統合原理の研究 ― 国人一揆を中心として―」[31])。2011年6月、東京大学に博士論文『日本中世の地域社会における集団統合原理の研究 ― 領主の一揆を中心として ―』を提出し、博士(文学)の学位を取得する。2012年から東京大学大学院人文社会系研究科の教務補佐員、2013年からは同研究科の研究員を務める[33][注 2]。
なお、以前から呉座はmixiを使用しており、2011年頃からはFacebookも使用していたという。2012年に出版した『一揆の原理』では、SNSと一揆の関連についても論じている[35]。2014年3月24日には、荻上チキのラジオ番組『荻上チキ・Session-22』(TBSラジオ)の「Session袋とじ 知っているようで、知らない。リアル一揆!」の回に出演している[36][4]。
2014年4月には東京大学大学院総合文化研究科の学術研究員となる。また、2014年から2017年まで立教大学文学部の兼任講師も務めた。2015年4月には国際日本文化研究センター(以下、日文研)の客員准教授となり、2016年7月には文部科学省の平成28年度「卓越研究員事業」[注 3]で採択され[40][41]、同年10月から日文研で任期付きの助教となる[32][42]。
日文研や信州大学時代
2016年10月から日文研で任期付き助教になった[32][42]ことに伴い、京都に移住[32]。同年に出版した『応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)は8か月で40万部を超えるベストセラーとなり、翌2017年9月30日には日本テレビの番組『世界一受けたい授業』の「3時限目【社会】空前の大ブーム! 実はグダグダだった「応仁の乱」」に出演した[2][43]。2018年3月には角川新書『陰謀の日本中世史』を出版。本来は前書『応仁の乱』と同時期に執筆していたが、前書のヒットでメディア対応に追われ、遅れてしまったという。同書は同年8月には11万部を突破した[25]。
また、2018年には科研費の若手研究に「戦後歴史学の史学史的研究―日本中世史研究の政治的性格を中心に―」のテーマで採択されている[44][注 4]。一方で同年から信州大学の特任助教にも就任しており[8]、2019年には同大学の教育研究に対する寄付という貢献により紺綬褒章を受章[14][8]。NHK『英雄たちの選択』にも出演し[46][47][48][49]、春日太一の有料配信「日本史よもやま話スペシャル」にも出演[50][51]。『文藝春秋』2020年4月号では出口治明と対談し[52]、同年刊行の講談社学習まんが『日本の歴史』では平安後期から応仁の乱までの監修を務めた[28]。
2021年10月より日文研の機関研究員(非常勤)[注 5]。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証は途中降板したが[55][57][56][63]、同年11月には講談社現代新書『頼朝と義時 ― 武家政権の誕生 ―』を出版した[64][63][65][注 6]。大河ドラマ放送中には講談社のサイトで『鎌倉殿の13人』を解説する「歴史家が見る『鎌倉殿の13人』」も連載した[66]。2022年5月には『戦国武将、虚像と実像』を出版[26][27]。同書では一般の人が戦国武将に持つイメージの実際を論じるとともに、評価やイメージがどのように変遷してきたかについて、同時代から近代・現代の史料を参照しながら分析した[27][67]。
一方で論壇チャンネルことのはで河野有理と対談し、2022年8月には『フォーサイト』で対談記事が掲載された[68][注 7]。同年10月には『武士とは何か』を出版[69]。33人の武士の名セリフから武士の本質に迫り、「中世社会は自力救済社会」、徳川長期安定政権で武士の性質が変化したと指摘している[69]。さらに2023年には『動乱の日本戦国史』を出版[70]。長篠の戦いや桶狭間の戦いなど6つの合戦の実態に対し、最新の研究に基づいて解説した[70]。同年11月には国際日本文化研究センター助教に就任[注 8]。
2024年には弥助問題についてインタビューに応じたり[72][73]、見解を発信[74]。敗者の失敗から学ぶ意義に着目した『日本史 敗者の条件』も執筆した[75][76]。同年12月には講演で川中島の戦いにおける戦略的評価についても語っている[21]。2024年12月現在、国際日本文化研究センター研究部助教(専任教員)[21][22]、および信州大学 先鋭領域融合研究群 社会基盤研究所 法制企画部門 特任助教。
研究と活動
一揆の研究
呉座は松浦一揆を素材として従来の領主一揆像の再検討を進める[77]。呉座の著書『一揆の原理』は反響を呼び、一般向けの書籍ながら「一揆契状」などに関する最新の研究成果を盛り込んでいた[35]。呉座は一味神水の宗教的な観点からの先行研究を批判し[35]、集団の同調圧力を指摘した。また、「一揆契状」の分析を行い、反体制運動などではなく、体制を認めた上での待遇改善運動だった点を指摘。「相手に降りかかってきた問題を自分の問題と考え、親身になって、その解決に協力する」「人のつながり」が一揆の本質と指摘した。
日本学術振興会特別研究員(DC1)として「日本中世の一揆および中世後期東国社会の研究」を[30]、日本学術振興会特別研究員(PD)として「日本中世の地域社会における集団統合原理の研究 ― 国人一揆を中心として―」の研究を実施[31]。博士論文『日本中世の地域社会における集団統合原理の研究 ― 領主の一揆を中心として ―』は『日本中世の領主一揆』として思文閣出版から出版され、 角川財団学芸賞を受賞している[11]。
応仁の乱の研究
2016年10月に『応仁の乱 ― 戦国時代を生んだ大乱 ―』(中公新書)を出版[80][81]。同書は一般書ながら最新の研究成果を踏まえて同時代の僧侶の視点から戦乱を描いたもので、斬新な構成や巧みな筆致と評価され、8か月で40万部を超えるベストセラーとなった。これによって日本国内で室町時代ブームが起こったと言われ[83]、本書に刺激を受けたかのように峰岸純夫『享徳の乱』(講談社選書メチエ)、亀田俊和『観応の擾乱』(中公新書)などが出版された[84]。
『応仁の乱 ― 戦国時代を生んだ大乱 ―』は、大和国の争乱を軸に応仁の乱を叙述していること、河内国の守護である畠山氏にも焦点を当てていること、大和国人達が興福寺の権威に頼って支配を勧めたことを保守的とする従来の見解を批判し、大和国を相対的な平和にした点を評価したことなどが特徴とされる。今谷明は家永遵嗣らの文正の政変に対する研究が活用されている点を指摘し、「読み応えがある」と評価した。
また、呉座は同書に「畠山義就の魅力は、軍事的才幹もさることながら、守護家に生まれた御曹司でありながら、権威を物ともせず、実力主義を貫く点にある」と記し、『応仁の乱 人物データファイル120』の特別解説では応仁の乱を「顔見知りの大名が権謀術数を巡らして駆け引きをするというもの」、「誰も状況を制御できなかったという「英雄不在」の戦乱」と表現した。
歴史問題への批判
『逆説の日本史』を著した井沢元彦に対し、呉座は井沢の著作を「学問的に正しくない」[89]「歴史ファンタジー」[90]と批判し、『週刊ポスト』誌上で論争を繰り広げた[89][90]。また、2018年には小説家の百田尚樹が著した『日本国紀』を呉座は歴史学者として批判し[91][90][92][93]、同書の監修を務めた久野潤とも論争を繰り広げた[94][95]。呉座は同書に誤りが多いと指摘し[91]、歴史学界で否定された古田武彦による倭の五王が九州王朝という説が採用されていることを例示している[92]。
2018年に出版した『陰謀の中世史』では、日本史におけるおよそ20項目の陰謀論を検証し、陰謀論のパターンを紹介した[25][注 9]。2020年には歴史修正主義や新しい歴史教科書をつくる会を批判する流れに位置づけられる『教養としての歴史問題』(前川一郎 編著、東洋経済新報社)に倉橋耕平や辻田真佐憲とともに共著者として加わり、国民的歴史学運動や網野善彦について論じている。
講演で「自分にとって都合の良い情報を疑ってかかり、自分の手で通説を確認してみることが大事」と語り[97]、『日本経済新聞』のインタビューでは「歴史に限らず「唯一絶対の正解があり、そこに必ずたどり着ける」と考える人は多いが、現在の複雑な社会で、簡単に結論の出る問題はない。」「目的意識が先に立つと、歴史を見る目がゆがむ。」「自説の補強や正当化のために歴史をゆがめられては困る。」と述べている[98]。
受賞・栄典
著書
単著
共書
分担執筆・対談・解説
(分担執筆)
(対談)
(特別解説)
- 「特別解説 応仁の乱を駆け引きで生き抜いた武将にこそ現代人が学ぶべきヒントがある!」『応仁の乱 人物データファイル120』応仁の乱研究会 編、2017年7月、4-5頁、ISBN 978-4062207256。
編書
監修
その他の著作
学位論文
- 『日本中世の地域社会における集団統合原理の研究 ― 領主の一揆を中心として ―』東京大学〈博士学位論文(甲第27348号)〉、2011年6月16日、NAID 500000566600。
エッセイ・寄稿
連載記事
(言論・書評・解説)
主なテレビ出演
脚注
注釈
- ^ 亀田は呉座とインターネットで意見交換を重ねていた。また、亀田は呉座の著書に対する書評において『一揆の原理』216頁の「百姓は「お客様」感覚で幕府や藩のサービスの悪さにクレームをつけている」という箇所に感銘を受けたといい、「優れた歴史書は、倫理面・道徳面でも我々に多くのことを教えてくれるのである。」と結んでいる。
- ^ 2012年10月11日初版発行の呉座 2012ではその時点で東京大学大学院人文社会系研究科研究員と書かれているが、信州大学の研究者データベース(SOAR 2022)の記述にならった。
- ^ 卓越研究員は2016年度から始まった制度で、「若手研究者が安定かつ自立して研究を推進できる環境を実現すること、全国の産学官の研究機関をフィールドとして活躍し得る若手研究者の新たなキャリアパスを開拓すること」を目的にしている[37]。企業を含む受け入れ先の機関がポストを提示し、それに研究者が応募する形になる[37][38]。面接を経て候補者に採択されたとしても、受け入れ先とのマッチングが成立せず、次年度以降も候補者として残る事例もあった[37][38]。2016年9月16日の学術フォーラムで、文部科学省科学技術・学術政策局人材政策課長は同事業に採択されることに対して、「いわばエリートとしての称号を得たわけであり、それを糧にキャリアアップをしてもらわないとならない」と語っている[39]。
- ^ 一方で、熊本大学の春田直紀が研究代表者を務める科研費基盤B「地下文書論による中世文字史料研究の再構築」のテーマにも、薗部寿樹、榎原雅治、湯浅治久らとともに研究分担者として参加している[45]。
- ^ 呉座は鍵付きアカウント(特定のフォロワーと呼ばれる関係者だけが閲覧可能な状態)でTwitterを利用していたが[53]、2021年3月に不適切な投稿が発覚し、批判を受けて呉座は謝罪を表明[54][55][56][53]。翌年放送予定の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証の降板を自ら願い出て、NHKも了承した[55][57][56]。また、日文研を運営する人間文化研究機構は停職1か月の懲戒処分を下したが[58][59][60]、日文研に呉座は地位確認に関する訴訟を同年に提訴同年[61][62]、2023年に和解した[61]。
- ^ 呉座は新書のあとがきで大河ドラマの時代考証を降板したことに触れ、「多くの方の心を傷つけ、多くの方にご迷惑をかけた以上、本書の刊行を断念することも考えた。けれども私は、所詮、日本史の研究・教育普及という活動を通してしか社会に貢献できない。お詫び申し上げるとともに批判を受けることを覚悟して、あえて江湖に問う次第である」と記している[63]。
- ^ “民主主義に潜在する暴力と、安倍晋三という『妥協点』の喪失”. フォーサイト. 新潮社 2023年4月29日(UTC)閲覧[68]。
- ^ 大学共同利用機関法人人間文化研究機構との和解条項所定の合意に基づき2023年(令和5年)11月1日から助教[71]。
- ^ 陰謀論のパターンとして、呉座は「一般的に考えられている被害者と加害者の立場を逆転する」「結果から逆算をして、最も利益を得た者を真犯人として名指しする」「最終的な勝者が、全てをコントロールしていたとする」などを挙げている。
- ^ 紺綬褒章は「公益ノ為私財ヲ寄附シ功績顕著ナル者」に授与される褒章であり、個人では公益のために500万円以上の寄付をしたものが対象となる[8](“平成30年6月11日有識者会合資料6 栄典制度の概要”. 内閣府. (2018年6月11日) 2022年2月11日(UTC)閲覧。)。
- ^ 日本史史料研究会、中井裕子、亀田俊和、森幸夫、細川重男、鈴木由美、谷口雄太、大薮海、生駒孝臣、花田卓司、杉山巖、大塚紀弘、石橋一展、三浦龍昭、久保木圭一、生駒哲郎(NCID BB21589607)。
出典
参考文献
(研究者情報)
外部リンク
(関連動画)