可部駅(かべえき)は、広島県広島市安佐北区可部二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅である。駅番号はJR-B14。
当初は終着駅であり、1936年の延伸に伴い途中駅となるものの、可部線電化区間と非電化区間の境界駅であった。その後非電化区間が2003年(平成15年)11月30日限りで廃止され、一時終着駅となった。しかし、2017年(平成29年)3月4日に可部線当駅 - あき亀山駅間延伸に伴い、再度途中駅となった[2]。
相対式ホーム2面2線を有する地上駅。1・2番のりばはそれぞれ改札口が独立しており、改札内での行き来は不可。改札外あき亀山方にエレベーターを併設した跨線橋(自由通路)があり、ここを経由して東西の往来が可能となっている。
横川駅管理の[14]、業務委託駅(JR西日本中国交通サービス受託)。ICOCA対応自動改札機、みどりの券売機プラスが設置されている[13]。駅構内には可部線全線の保守・運営を管轄していた可部鉄道部があったが、2006年(平成18年)7月に廃止された[8]。
JR特定都区市内制度における「広島市内」の駅である。
2016年(平成28年)12月のホーム改良前は、電車用行止まり線路とホーム(いわゆる「櫛形ホーム」)の1番2番線(現在廃止)と、三段峡方面に伸びる3番線(現:1番線)・側線(現:2番線)があった。
2013年(平成25年)2月、広島市とJR西日本は、2015年(平成27年)春を目標に旧河戸駅方面へ再度延伸(事実上の電化復活)することで合意した[広報 4]。その後、踏切設置調整や駅建設用地取得手続きに手間取ったことで[16]、延伸予定が2度延期されており、2017年(平成29年)3月の開業の予定となった。JR西日本は同年11月に許可申請を行い[17]、2014年(平成26年)2月に事業許可を取得した[広報 5]。延伸時には旧1・2番のりばを廃止し、旧3番のりば(=現1番のりば)と、旧側線部分に新設されるホーム(=現2番のりば)を使用した相対式ホームに改良されることとなった[広報 6]。そのホーム改良に合わせて従来の西口への通路は封鎖され上下線分離駅となり、東西間の自由通路を設置すると2015年(平成27年)2月に発表した[広報 7]。これらの改良工事については延伸開業に先駆ける形で、2016年(平成28年)12月に東西自由通路やホーム改良がそれぞれ完成し、使用開始した[11]。
以下の情報は、「広島県統計年鑑」、「広島市統計書」及び「広島市勢要覧」に基づいたデータである。
以上の1日平均乗車人員は、乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。
1994年に大町駅が開業するまでは、可部線で最も利用者が多い駅だった。
駅舎は複数の河川が山からの土砂を運び堆積させた沖積平野にあり、西側を太田川、東側を大田川支流の根谷川に挟まれている。これは水害が起こりやすい地形であり駅近くの品窮寺には1928年6月の水害を記録する石碑が残る[21]。広島市が作成したハザードマップでは治水対策が施された2020年代でも太田川、根谷川氾濫時には駅周辺で最大3mの浸水が予想されている[22]。
旧市街地は駅東側にあり歴史ある醸造所、石州街道、県道に格下げされた以前の国道も皆東側にある。駅西側は1960年代までは水田が多かったが[23]、その後開発が進み可部鋳物の関係で大和重工本社工場を始めとする鉄工・鋳造メーカー工場が立地するようになった。旧市街地を迂回する形での国道拡幅と線形改良も駅西側を通ることで行わた。2003年の可部線北部区間の廃止以後、代替バスと列車との連絡改善のため等として、国道に近い西口広場再開発と整備が進めれ2008年に開業した。
「可部駅前」バス停は、可部駅西口広場にある勝木・大林方面の1 - 4のりばと、国道上に設置された広島方面のりばの計5ヶ所のりばがあり、広島交通[24] と広電バス[25] が発着している。2007年(平成19年)12月に使用開始。これに伴い、下り便は、元「可部駅前」停留所に停車する代わりに、一度国道183号を右折して、全便がこの停留所に停車するようになった。また、可部線廃止区間の代替バス(広電バス・広島交通)もここから発着しているが、広島・三段峡直行便は高速道路を経由するため可部駅には入らない。
路線は、おおむね5方面に分けられており、会社を問わず同じ方面のバスが同一のりばまたは隣接のりばに到着するように振り分けられている。
73-9:琴谷
豊平方面