叢雲 (東雲型駆逐艦)

艦歴
計画 第一期拡張計画[1](1896年度[2])
起工 1897年10月[2][3]
進水 1898年11月16日[2]
竣工 1898年12月29日[2]
除籍 1919年4月1日
その後 潜水艇母船兼掃海船[2]
1920年7月1日二等掃海艇[2]
1922年4月1日標的船[2]
1925年3月12日廃船[2]
1925年6月4日撃沈処分[2]
要目
排水量 常備:322トン
長さ 63.6m
6.0m
吃水 1.7 m[4]
機関 2軸推進、5,475shp
速力 30ノット
航続距離
乗員 58人[5]
兵装 安式12ポンド速射砲 1門
保式6ポンド速射砲英語版 5門
45cm水上魚雷発射管 2門
信号符字 GQKB(1898年~)[6]

叢雲(むらくも)[7]は、大日本帝国海軍駆逐艦で、東雲型駆逐艦の2番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(特I型)の「叢雲」があるため、こちらは「叢雲(初代)」や「叢雲I」などと表記される。

艦歴

1897年明治30年)10月、イギリスソーニクロフト社で「第四号水雷艇駆逐艇」として起工。1898年(明治31年)3月16日、第四号水雷艇駆逐艇は「叢雲」と命名される[7]。3月21日、帝国海軍は海軍軍艦及水雷艇類別標準を制定[8]。東雲型の各艦は水雷艇駆逐艇に分類された[9]。11月16日に進水し[10]、12月29日に竣工[2]。翌年1899年(明治32年)4月23日、横須賀に到着[2][11]

1900年(明治33年)4月30日、神戸沖で挙行された大演習観艦式に参加、第四列に配された。6月22日、帝国海軍は海軍艦艇類別標準を制定、水雷艇駆逐艇の分類が廃止され、軍艦の一種として「駆逐艦」の種別が設けられた[12]。東雲型の各艦も駆逐艦に類別される[13]とともに、同日付で佐世保鎮守府所管となる[14]。また不知火以外の5隻は常備艦隊に編入された[15]。この年北清事変に出動した[2]

1903年(明治36年)4月10日、神戸沖で実施された大演習観艦式に参列、第三列に配置された[16]1904年(明治37年)に日露戦争が勃発した際には第二艦隊(司令長官:上村彦之丞海軍中将、旗艦:装甲巡洋艦出雲)の第五駆逐隊に所属していた[17]旅順口攻撃黄海海戦日本海海戦樺太の戦いなどに参加した[2][17]。戦勝後の1905年(明治38年)10月23日、横浜沖で挙行された凱旋観艦式に参列、第四列に配置された[18]

1908年(明治41年)11月18日、神戸沖の大演習観艦式では第六列の一艦として参加[19]

1912年大正元年)8月28日、日本海軍は艦艇類別標準を改正。駆逐艦のカテゴリーが軍艦から分離され、計画排水量1,000トン以上を一等、1,000トン未満600トン以上を二等、600トン未満を三等駆逐艦と規定した[20]。東雲型駆逐艦は三等駆逐艦に類別された[21]

1919年(大正8年)4月1日に除籍され[22]、雑役船(潜水艇母船兼掃海船)に指定、「叢雲丸」と改称[23]1920年(大正9年)7月1日、特務艇(二等掃海艇)に編入され、叢雲に再改称[24]1922年(大正11年)4月1日、掃海艇の分類から外れ[25]、再度雑役船(標的船)に編入[26]1925年(大正14年)1月30日に実施された調査で「船体其他全般ニ亘リ衰朽」の事実が判明した[27]ため、3月12日に廃船認許[28]。同年6月4日、千葉県洲埼灯台沖で実艦標的として撃沈処分[2]

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
  • 藤本秀四郎 少佐:1898年3月29日 -
艦長
  • 松岡修蔵 少佐:1900年6月22日 - 1904年9月11日
  • 島内桓太 大尉:1904年9月11日 - 1905年12月12日
駆逐艦長
  • 島内桓太 少佐:1905年12月12日 - 1906年2月8日
  • (兼)増田幸一 大尉:1906年2月8日 - 5月10日
  • (兼)築山清智 中佐:1906年5月10日 - 10月4日
  • (兼)堀江鶴彦 少佐:1906年10月4日 - 1907年5月17日
  • 野田為良 大尉:1907年5月17日 - 1908年5月16日
  • (兼)田辺栄次郎 大尉:1908年5月16日 - 5月28日
  • (兼)平田尚信 大尉:1908年5月28日 - 9月25日
  • 前川義一 大尉:1908年9月25日 - 1909年3月11日
  • 藤田許太郎 大尉:1909年3月11日 - 1911年5月23日
  • 山崎圭二 大尉:1911年5月23日 - 1912年12月20日
  • 堀内宗平 少佐:1912年12月20日 - 1914年5月29日
  • 河北一男 少佐:1914年5月29日 - 不詳
  • 足立脩蔵 少佐:不詳 - 1915年12月13日
  • 神本国太郎 少佐:1915年12月13日 - 1916年9月12日
  • 若山昇 大尉:1916年9月12日 - 12月1日
  • 江原収治 大尉:1916年12月1日 - 1918年9月10日[29]
  • 本田源三 大尉:1918年9月10日[29] -

脚注

出典

  1. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.9、明治二十九年
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本海軍史』第7巻、285-286頁。
  3. ^ 『幕末以降帝国軍艦写真と史実』 国立国会図書館デジタルコレクション コマ74
  4. ^ 『日本海軍史』第7巻、182頁。
  5. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇要目表」51頁。
  6. ^ 明治31年4月15日『官報』第4434号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ1 「|信號符字|艦艇名|GQKB|叢雲 Murakumo|」
  7. ^ a b 明治31年 達 完:3月(1)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070040500  画像6「達第二十七號 英國ニ於テ製造中ノ水雷艇驅逐艇左ノ通命名ス 明治三十一年三月十六日 海軍大臣 侯爵西鄕從道
    第一號水雷艇驅逐艇 イカツチ
    第二號水雷艇驅逐艇 イナツマ
    第三號水雷艇驅逐艇 シノノメ
    第四號水雷艇驅逐艇 ムラクモ
    第五號水雷艇驅逐艇 アケホノ
    第六號水雷艇驅逐艇 ササナミ
    第七號水雷艇驅逐艇 ユフキリ
    第八號水雷艇驅逐艇 ラヌ
  8. ^ #達明治31年3月(1) 画像14「達第三十四號 海軍大臣ニ於テ別表ノ標準ニ據リ軍艦及水雷艇ノ類別等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラル 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣 侯爵西鄕從道」
  9. ^ #達明治31年3月(1) 画像16・17「達第三十五號 軍艦及水雷艇類別等級別紙ノ通定ム 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣 侯爵西鄕從道 |水雷艇|驅逐艇|東雲 叢雲 夕霧 不知火 雷 電 曙 漣|」
  10. ^ 明治31年11月18日『官報』第4617号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3 「○水雷艇進水 英國ニ於テ製造ノ水雷艇雷ハ本月十五日、同叢雲ハ同十六日孰モ滞ナク進水セリ(海軍省)
  11. ^ 明治32年4月25日『官報』第4717号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ7 「○軍艦發著 …水雷艇驅逐艇雷ハ同日新嘉坡ニ向ヒコロムボ拔錨、同夕霧ハ本月二十二日亞丁ニ向ヒポーㇽト、サイド拔錨、同叢雲ハ一昨二十三日橫須賀ヘ投錨セリ(海軍省)
  12. ^ 明治33年 達 完:6月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070044300  画像47「達第百二十一號 海軍大臣ニ於テ軍艦及水雷艇ノ類別等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラルヽ件ヲ廢セラン更ニ艦艇類別標準別表ノ通定メラル 明治三十三年六月二十二日 海軍大臣 山本權兵衞」
  13. ^ #明治33年達完6月 画像48「|軍艦|驅逐艦|東雲、叢雲、夕霧、不知火、陽炎、薄雲、…|」
  14. ^ 海軍内令 明治33年:内令第55号 明治33年6月1日~内令第97号 明治33年8月1日 画像19・20「內令第七十二號 驅逐艦 東雲 驅逐艦 叢雲 驅逐艦 夕霧 驅逐艦 不知火 驅逐艦 陽炎 驅逐艦 薄雲 右本籍ヲ佐世保鎭守府所管ト定メラル … 明治三十三年六月二十二日 海軍大臣 山本權兵衞」
  15. ^ 海軍内令 明治33年:内令第55号 明治33年6月1日~内令第97号 明治33年8月1日 画像20「內令第七十三號 佐世保鎭守府 驅逐艦 東雲 驅逐艦 叢雲 驅逐艦 夕霧 驅逐艦 陽炎 驅逐艦 薄雲 右常備艦隊ニ編入セラル 佐世保鎭守府 驅逐艦 不知火 右豫備艦ト定メラル 明治三十三年六月二十二日 海軍大臣 山本權兵衞」
  16. ^ 「極秘 明治37.8年海戦史 第11部 戦局日誌 巻1」/第1編 開戦前誌(明治36年4月8日より37年2月5日に至る)」 アジア歴史資料センター Ref.C05110200200  画像3(p.5)『第三列、高雄、平遠、筑紫、濟遠、電、曙、雷、朧、叢雲、陽炎、不知火、薄雲、曉、霞、白雲、朝潮、漣』
  17. ^ a b 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、268頁。
  18. ^ 明治三十七・八年海戦史. 下巻 国立国会図書館デジタルコレクション コマ370
  19. ^ 『帝国及列国海軍』国立国会図書館デジタルコレクション コマ253
  20. ^ 大正1年 達 完:8月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070064400  画像33『達第十一號 艦艇類別等級別表ノ通改正セラル 大正元年八月二十八日 海軍大臣 男爵斎藤實 (別表)|驅逐艦|一等|千暾以上|二等|千暾未満六百暾以上|三等|六百暾未満|』
  21. ^ #大正1年達完8月 画像34『達第十二號 艦艇類別等級別表ノ通改正ス 大正元年八月二十八日 海軍大臣 男爵斎藤實 (別表)|驅逐艦|三等|東雲、叢雲、夕霧、不知火、陽炎、薄雲、…|』
  22. ^ #海軍制度沿革巻8 国立国会図書館デジタルコレクション コマ58 「大正八年四月一日(達四四) 艦艇類別等級別表中軍艦ノ欄內「嚴島、」ヲ、驅逐艦ノ欄內「叢雲、夕霧、」ヲ、水雷艇ノ欄內「隼、鵲、眞鶴、千鳥、」ヲ削ル」
  23. ^ 大正8年 海軍公報(部内限):大正8年4月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070267900  画像1「海軍公報第千九百六十四號附錄 大正八年四月一日(火) 海軍大臣官房 ○令達 …叢雲丸 舊驅逐艦 叢雲 右各頭書ノ通命名シ雜役船(潜水艦母船兼掃海船)ニ編入ノ上橫須賀防備隊附屬ト定ム …」
  24. ^ 大正9年 達 完:7月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070077300  画像15「達第百五號ノ二 大正九年七月一日 海軍大臣 加藤友三郎 特務艇竝雜役船船名ヲ左記ノ通改定ス |船種|船名及公稱番號|新名稱|…|潜水艦母船兼掃海船|叢雲丸|掃海艇 叢雲|」
  25. ^ #海軍制度沿革巻8 国立国会図書館デジタルコレクション コマ73 「大正十一年四月一日(內令一一〇) 特務艇類別等級別表中左ノ通改正ス 掃海艇二等ノ欄內「叢雲」「夕霧」ヲ削リ「薄雲、」「不知火、」「朝潮、」「白雲、」「村雨、」「朝霧」ヲ加ヘ潜水艦母艇ノ欄內「椅子山」ヲ削リ「千代田、」「見島」ヲ加フ」
  26. ^ 大正11年 海軍公報(部内限):大正11年4月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070284800  画像1「海軍公報(部內限)第六百十號 大正十一年四月一日(土) 海軍大臣官房 ○令達 官房第一一七五號 舊軍艦周防、津輕、沖島、橋立、舊驅逐艦陽炎、舊水雷艇燕、雁、蒼鷹、鴿、第六十七號、第六十八號、第七十號、第七十一號各水雷艇及舊特務艇叢雲、夕霧ハ之ヲ雜役船ニ編入シ其ノ種類、船名、公稱番號及所屬等ヲ左ノ通定ム 大正十一年四月一日 海軍大臣 男爵加藤友三郎 |種類|船名(公稱番號)|所屬|…|標的船|叢雲(舊特務艇叢雲)|海軍水雷學校|」
  27. ^ 大正14年 公文備考 巻25 艦船:雑役船廃船、公用財産中用途廃止(2)」 アジア歴史資料センター Ref.C08051372800  画像33「標的船(舊叢雲) 檢査報告 橫須賀海軍工廠長 正木義太 大正十四年一月三十日調 |所見|一、船体其他全般ニ亘リ船底浸水個所ハ應急的處置ヲ施シアル狀況ニシテ多額ノ費用ヲ投シ修理スル價値無ク廢船可然モノト認ム|」
  28. ^ #雑役船廃船 画像29「大正十四年三月十二日 大臣 二月十六日附横鎭第一五九號ノ二上申雜役船廢船ニ關スル件認許ス」
  29. ^ a b 『官報』第1833号、大正7年9月11日。

参考文献

  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館
    • 軍令部編『明治三十七・八年海戦史. 下巻』内閣印刷局朝陽会、1934年。 
    • 小栗孝三郎『帝国及列国海軍』丸善、1909年4月。 
    • 海軍有終会 編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年。 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革 巻8』海軍大臣官房、1940年。 
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『明治31年達 完:3月(1)』。Ref.C12070040500。 
    • 『明治33年 達 完:6月』。Ref.C12070044300。 
    • 『「極秘 明治37.8年海戦史 第11部 戦局日誌 巻1」/第1編 開戦前誌(明治36年4月8日より37年2月5日に至る)』。Ref.C05110200200。 
    • 『明治45年 内令:明治45年2月』。Ref.C12070148100。 
    • 『大正1年 達 完:8月』。Ref.C12070064400。 
    • 『大正2年 達 完:8月』。Ref.C12070066400。 
    • 『大正8年 海軍公報(部内限):大正8年4月』。Ref.C12070267900。 
    • 『大正9年 達 完:7月』。Ref.C12070077300。 
    • 『大正11年 海軍公報(部内限):大正11年4月』。Ref.C12070284800。 
    • 『大正14年 公文備考 巻25 艦船:雑役船廃船、公用財産中用途廃止(2)』。Ref.C08051372800。 

関連項目

Strategi Solo vs Squad di Free Fire: Cara Menang Mudah!