原田 岳(はらだ がく、1998年5月22日 - )は、岩手県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・V・ファーレン長崎所属。ポジションはゴールキーパー。
略歴
小学生~ユース年代
小学生時代は横浜市のバディーSCでプレーし、2010年の全日本少年サッカー大会優勝に貢献した(当時の体格は162cm、45kg[1])。
中学からは横浜F・マリノスのジュニアユースに加入した。ジュニアユースでは、2013年に日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会で優勝し、堂安律・渡辺皓太らとともに大会優秀選手に選出された[2]。
2014年、高校1年生になると順調に横浜F・マリノスユースに昇格するも、当時高校3年生のGK田口潤人の牙城を崩すことは出来ず出場機会は限られた。
翌2015年には高校2年生にしてレギュラー争いを演じチームのプレミア昇格とクラブユース選手権優勝に貢献した[3]。
2016年、高校3年生になると同学年の千田奎斗と「ユース年代ナンバーワンの熾烈なポジション争い」[4]を繰り広げ、2016年2月には二人ともトップチームに2種登録された[5]。
横浜F・マリノス
2016年10月25日、2017年から横浜F・マリノスのトップチームに昇格することが発表され[6]、「子どもの頃からの夢であったプロサッカー選手になることができ嬉しく思います。ゴールキーパーとして日本のサッカーを引っ張っていける選手になりたいです。これまでお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れずに、1年目から試合に出られるように頑張っていきたいと思います。」[7]と意気込みを語った。このときの体格は187cm、79kgであった[7]。
トップチームに昇格した2017年はルヴァンカップで2試合にベンチ入りしたものの、リーグ・天皇杯含め出場はなかったが、[8]「人生で一番練習した年だった」として、「今日できたことを明日はもっと良くする、今日できなかったことを明日はできるようにする。そうやってシゲさんと話し合いながら取り組んできて、自分でも分かるくらいプレーの質が変わってきました。」とプロ1年目を振り返った[9]。
2018年、7月11日に行われた天皇杯3回戦の横浜FC戦でベンチ入り[10]すると、7月18日のベガルタ仙台戦ではリーグ戦初のベンチ入りを果たした[11]。「大樹くん(飯倉大樹)がけがをしたときは自分が出るというポジションになった。ピッチに立ったときに堂々としていられる準備はしていきたい。(出場機会が急きょ訪れても)そのために練習しているので、しっかりやってきたと信じてプレーするだけ」[12]と試合出場に意欲を見せるも、出場には至らなかった。試合は8-2で勝利した[13]。
SC相模原
2019年7月19日、SC相模原へ育成型期限付きする事を発表した[14]。この年は田中雄大とポジションを争いながら、自身のJリーグ初出場を含む6試合に出場したが、翌年の2020年は出場機会は無かった。
V・ファーレン長崎
2021年、V・ファーレン長崎へ期限付き移籍[15]。12月8日、長崎に完全移籍することが発表された。
人物・エピソード
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
2017 |
横浜FM |
32 |
J1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2018 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
2019 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
相模原 |
J3 |
6 |
0 |
- |
- |
6 |
0
|
2020 |
0 |
0 |
- |
- |
0 |
0
|
2021 |
長崎 |
31 |
J2 |
0 |
0 |
- |
0 |
0 |
0 |
0
|
2022 |
1 |
0 |
- |
3 |
0 |
4 |
0
|
2023 |
|
|
- |
|
|
|
|
通算 |
日本 |
J1
|
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0
|
日本 |
J2
|
1 |
0 |
- |
3 |
0 |
4 |
0
|
日本 |
J3
|
6 |
0 |
- |
- |
6 |
0
|
総通算
|
7 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
10 |
0
|
タイトル
クラブ
- バディーSC
- 横浜F・マリノスジュニアユース
- 神奈川県選抜
- 横浜F・マリノスユース
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク