千野 秀一(ちの しゅういち、1951年11月1日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家、即興演奏家。
幼少よりクラシックピアノを学び、東京学芸大学附属高校に進学するも、学生運動にのめりこんで中退し、その後大学入学資格検定を経て早稲田大学に進学。
1970年よりキーボーディスト、編曲家として活動を始める。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのサポートメンバーを経て正規のメンバーになった1976年ごろに中村香織と結婚し、1981年のバンド解散の翌年に離婚。坂田明、神谷重徳に合流してユニットWha-ha-haとして活動を行う一方、林英哲らとともに立ち上げたチャンゴ5などを始めとする複数のユニット活動を精力的に行う。また、宇崎竜童とともに1970年代末より携わり始めた映画音楽の分野では1980年代から1990年代を通じて多くの成果を出した。また映画の仕事で関わった俳優の麿赤兒との付き合いを通じて、2000年代半ばまで大駱駝艦に対して作品、演奏を提供するほか、現代舞踊家の江原朋子にも楽曲、演奏を提供する。1990年代からは即興演奏とともに、コンピュータとシンセサイザーを用いて作品を制作。1996年に音楽のためのソフトウェア制作を始め、神戸ジーベックホールにて、"振り子椅子"によるソロ・パフォーマンスを行うほか、コンピュータを用いたサウンド・インスタレーション「蟲めづる」などを制作する。キーボーディストとしてはGround Zeroの活動を通じて大友良英と交流するほか、ソウルシャリスト・エスケイプ、Next Pointなどで多くのミュージシャンとセッション、コラボレーションを行い、現在に至る。2008年よりベルリン在住。
この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。