勢田 勝郭(せた かつひろ[1]、1948年〈昭和23年〉[1] - )は、中世日本文学を専門とする日本の研究者、教育者[21]。博士(文学)。奈良工業高等専門学校名誉教授。和歌・連歌・俳諧の検索システム「Keiko」を開発し[16][17]、データベースは国際日本文化研究センターに寄贈されている[8][9][10]。連歌研究にコンピュータを応用した先駆者であり、著書に『連歌の新研究』がある[13][14][15]。奈良工業高等専門学校では将棋部を強豪として育てるとともに、2007年から2011年までロボコンプロジェクトの指導教員を務め、NHK高専ロボコンにおける同校の躍進を支えた[4][11][12]。和歌山県橋本市の前田邸[注 1]所蔵資料の調査研究も進め[21]、橋本市文化財保護審議会[注 2]委員[24][25]や講演会講師[26]、施設紹介でも活動した[24][25]。
来歴・人物
中世日本文学の研究者として
1948年(昭和23年)生まれ[1]、和歌山県出身[21]。岡山大学法文学部文学科に進み、1974年に卒業[2][6]。大学院に進学し、1976年(昭和51年)に岡山大学大学院 文学研究科 国文学を修了する[2][6]。津山工業高等専門学校(以下、津山高専)講師、助教授を経て奈良工業高等専門学校(以下、奈良高専)で助教授、教授[31][21]を歴任[注 3]。この間、2001年に安田女子大学で論文博士により博士(文学)の学位を取得。2012年3月に奈良高専を定年退職し[32]、後に同校名誉教授となる[33]。
1983年には橋本市にある応其寺に所蔵された『無言抄』について論文を発表[34]。1984年には赤羽学と共著で『無言抄』や『匠材集』を出版[35][36][37]。1992年から1995年にかけては、『連歌の新研究』を刊行する[13][14]。これは論考編と3冊の索引編で構成されており[14][15]、『論考編』では春秋を3句以上連続させる傾向が南北朝時代からあったことを指摘している[38]。
勢田本人曰く、1980年(昭和55年)から「連歌句集、百韻、千句の本文をパーソナルコンピュータ用にデータ入力してきた」といい[注 4]。前述の『連歌の新研究』にもコンピュータを利用して分析を行っている。1990年8月に開催された津山高専のコンピュータ教育講座では、講師の一人を務めている[40][41]。1993年には和歌・連歌・俳諧の用例検索システム「Keiko」を発表。1994年と1995年には勢田による和歌検索システム「Keiko-W」が発売されている[16]。
2002年(平成14年)には和歌・連歌・俳諧のデータベースを国際日本文化研究センターに寄贈しており[43][44][45]、2002年度から一般公開されている[31][8]。さらに連歌研究支援用例検索システム「Keiko II-R」とその俳諧バージョン「Keiko II-H」が国際日本文化研究センターでCD-ROMが配布され、連歌と俳諧のデータベースは山田奨治と岩井茂樹が作成した連歌語彙連想データベースに用いられた[47][10][18]。一方で、2003年には和歌山県橋本市の前田邸[注 1]が所蔵している俳諧や石門心学の資料について、調査と研究を開始している[21]。
強豪奈良高専
奈良高専において勢田は将棋部の顧問を務め、同部を強豪校に育て上げる[12]。さらに、当時一回戦負けが多かった同高専のロボットコンテスト(ロボコン)チームを強くするため、2007年に設立された「ロボコンプロジェクト」のプロジェクトリーダーに就任[5][12]。勢田は専門外ながらも遅くまで活動する学生を親身になって支えたという[5][12]。勢田は専用の活動場所を学校に要望し、2008年に「ものづくり工房」が設置される[12][注 5]。同年の大会において、奈良高専は近畿地区大会優勝を達成、全国大会に出場する[49][4]。
翌2009年に地区大会で敗退した際の「俺はもう一度国技館に行きたかった」という勢田の言葉に学生は奮起し[5][3][4]、奈良高専ではそれまで5年生は引退していたが、高橋智也や大畑直樹、川節拓実らが5年生でも2010年大会に参加する[3][5][4]。「隼」は全国大会出場を決め、大会最速記録、全国ベスト8、アイデア賞受賞を成し遂げた[3][50][51][4]。さらに翌2011年大会の近畿地区大会において、奈良高専は優勝・準優勝の1・2フィニッシュを達成している[4][52][11]。
定年退職後
2012年(平成24年)3月、「この世にし生まれしことぞ有難き何誇るべきこの身ならねど」と記し、定年退職[32]。その後も2012年度は奈良高専の授業を担当[53]。さらに同校名誉教授[33]として公開講座の講師を務めたり[54]、中世文学会の平成26年度大会や俳文学会平成27年度全国大会でも研究発表を行った[19][20]。一方で四国八十八箇所巡りにも挑戦しており、2012年度の時点で88か所中40か所まで巡ったという[55]。
2015年には、奈良高専「大和」がロボコン全国大会で初優勝、およびロボコン大賞とのダブル受賞を果たす[56][4][11][12]。大会当日に奈良高専で大会中継(パブリックビューイング)を見守る勢田も、テレビや書籍で取り上げられた[57][11][12]。また、2017年には全国高専将棋大会において奈良高専は、9度目の優勝、大会4連覇を達成している[58]。
和歌山県橋本市にある前田邸[注 1]において、勢田は2007年で開催された「高野口夜学!―江戸石門心学を学ぼう」で講師を務めていたが[26]、橋本市文化財保護審議会[注 2]の委員にも就任。前田邸では近隣の小学生が見学した際の施設紹介も担当し[60][24][25]、2016年には奈良高専の公開講座においても、前田邸に所蔵されている乃木希典の「爾霊山詩」を扱っている[61]。
また、勢田は名誉教授として2015年以降も奈良高専の研究紀要に研究成果を投稿(節「奈良工業高等専門学校紀要」参照)。2016年3月には木食応其に関して豊臣秀次切腹事件に対する私見を、2020年(令和2年)3月には『愛宕百韻』に関する注釈と再検討[64]を発表している。
用例検索システム Keikoシリーズ
和歌・連歌・俳諧用例検索システム Keiko
MZ-2500シリーズのBASICで開発を始め、後にMS-DOSのシステムに移行。1993年9月の『人文学と情報処理』で紹介した際に、「Keiko」と名付けたという。勢田はこのシステムを用いて、『連歌の新研究』の成果を挙げた。
和歌用例検索システム Keiko-W
『和歌用例検索システム Keiko-W』、NCID BN14317827として販売[注 6]。
- 第1期(データライブラリ・ディスク No.1-6)、勉誠データセンター、1995年5月[16]。
- 第2期(データライブラリ・ディスク No.7-12)、ビー エス データ株式会社、1996年2月[16]。
連歌研究支援用例検索システム Keiko II-R
MS-DOS用であった「Keiko」をWindows版にしたもののうち、連歌用のシステムが「Keiko II-R」であり、2002年8月31日時点でデータ総数は22万8千186句を数える。国際日本文化研究センターにおいて希望者にCD-ROMで配布され、岩波書店の『文学』第3巻第5号2002年9.10月号で紹介された[17]。なお、センターで配布されたCD-ROMは最新版ではなく、付句選択や作風識別といった追加プログラムを持たない。
俳諧研究支援用例検索システム Keiko II-H
Keiko II-Rの付録として配布されたもの。Keiko II-Rのプログラムを手直しして俳諧に対応させており、検索パターンも同様。データ総数は6万7千394句。
国際日本文化研究センターのデータベース
和歌・俳諧・連歌のデータベース
2002年1月の段階で、和歌は19万423件、俳諧は2万5千652件、連歌は19万7千228件をそれぞれ収録している[43][44][45]。2002年度(平成14年度)に公開された[8]。勢田の「日本研究のために役立てて欲しい」という申し出により、国際日本文化研究センターに寄贈されたもの[31]。
山田奨治と岩井茂樹は「とくに連歌については、その規模とデータの正確さの点において、他に類例のない貴重なデータベース」と評価しており、データ化にあたって勢田は浜千代清、寺島樵一、重松裕己、両角倉一、奥野純一、岩下紀之、光田和伸、大村敦子らの協力を得たという。
連歌連想語彙データベース
山田奨治らによって作成された連歌語彙連想データベース [74][47][10][18]。勢田が提供した上記データベースのうち、連歌と俳諧のデータベースを元にしており、岩井茂樹が語彙の整理を行っている[10][18]。
主な著作
学位論文
著書(単著)
著書(共編著)
論文・解説
(シンポジウム記録)
研究紀要
岡大国文論稿
『岡大国文論稿』は、岡山大学言語国語国文学会による編集・出版。ISSN 0386-3123。
津山工業高等専門学校紀要
『津山工業高等専門学校紀要』、ISSN 02877066、NCID AN00149351。
奈良工業高等専門学校紀要
『奈良工業高等専門学校紀要』、ISSN 0387-1150。
脚注
注釈
- ^ a b c d 所在地は「和歌山県橋本市高野口町名倉392」で[76]、2004年7月23日に登録有形文化財に登録されている[77][78][79][80]。登録番号は、主屋が30-0058[77]、中書院が30-0059[78]、新書院が30-0060[79]、土蔵が30-0061[80]。江戸時代から昭和初期にかけての展示品も所蔵されている[76]。
- ^ a b 橋本市文化財保護審議会は橋本市文化財保護条例(平成18年橋本市条例第128号)第14条に基づき設置された審議会で、15名以内の委員で構成される[59]。
- ^ 2012年3月の奈良高専定年退職時に「本校での21年間」と書き記している[32]ので、奈良高専への転任は1991年4月と考えられる。
- ^ 山田・岩井 2006, p. 5には「1970年代から、コンピュータを連歌研究に応用する試みを先駆的に進めた」「主としてパソコンの検索機能を用いて、連歌表現の時代変化を計量的・実証的に行った。」と記されている。
- ^ 2002年の大会後の反省会では、「製作場所の移動だけに時間を取られ、マシン製作のスケジュールが立てられない。」「施設の使用日時について学校側と連絡の行き違いがあるため、製作の中断を余儀なくされる。」という問題点が指摘されていた[48]。
- ^ メインプログラム・ディスク 修復用ディスク 機械可読データファイル、付:ユーザーズガイドブック / 勢田勝郭著 (138p ; 21cm) 、ライブラリ・ディスク データ転送の手順、MS-DOS Ver5.0、PC-9821 Ap21[16]。
- ^ 高橋良雄、石川一、勢田勝郭、岸田依子、伊藤伸江 著(NCID BA70444603)[75]。
- ^ 《付》司馬遼太郎『坂の上の雲』の「創作」(NCID BC08014710。)
出典
外部リンク
(国際日本文化研究センターに寄贈されたデータベース、およびその発展)