勝坂遺跡(かつさかいせき/かっさかいせき[1])は、神奈川県相模原市南区磯部にある縄文時代の遺跡。国の史跡に指定されている。
縄文時代中期前半頃(約5000年前)の大集落跡で、勝坂式土器の名前の由来となった、関東地方における標式遺跡の1つである。都市公園(歴史公園)の「史跡勝坂遺跡公園」として整備されている[2]。
1926年(大正15年)に大山柏により発見された[3][4]。この遺跡からは多くの土器や打製石斧が発掘されている。そのなかでも、装飾的な文様や顔面把手(顔を表現した取っ手)などの特徴を持つ土器は、後に勝坂式土器と命名されている。また、打製石斧も土を掘るものと考えられ、縄文時代において農耕の可能性を示すものとして注目を浴びた。
1974年(昭和49年)に集落遺跡の一部の約2ヘクタール(勝坂D区)が国の史跡として指定された。D区は1980年と1984年に史跡の追加指定が行われ、2006年(平成18年)1月26日には近接した3,797.61平方メートル(勝坂A区)も史跡の追加指定がなされている[1]。
遺跡の西側の「有鹿谷」には、有鹿神社の奥宮がある。この谷では祭祀遺跡の勝坂有鹿谷遺跡が発見されている[5]。