内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 2013年以前[1])は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(インサイドライト)。
神奈川県立小田原高等学校を1953年に卒業。中央大学ではサッカー部に所属。卒業後は古河電工サッカー部に入団。1960年度天皇杯にて、実業団チームとして初となる天皇杯優勝に貢献した[3]。翌1961年度、1964年度にも天皇杯優勝。
学生時代から日本代表に選出され、1956年のメルボルンオリンピック予選では韓国代表との1戦目で貴重な先制点を挙げた。2戦目は韓国に敗れたものの、抽選で本大会出場が決定。本大会でのオーストラリア代表戦にも出場した。
1966年と1979年の2度、古河電工サッカー部の監督に就任し、1982年の第7回JSLカップで優勝した。
なお、詳細な没年は不明であるが、2013年4月時点で故人となっている[1]。
現在は、日本サッカーリーグ開幕後のみ。
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