佐波 正一(さば しょういち、1919年(大正8年)2月28日 - 2012年(平成24年)9月10日)は日本の実業家、元東芝社長・会長、国際基督教大学理事長。東京都出身。
曽祖父は佐倉藩士で蘭学者の佐波銀次郎(1825 - 1891)。手塚律蔵に学び、藩命で樺太探検、幕府蕃書調所教授手伝、神奈川奉行で外交文書の翻訳などに当たった[4]。祖父の佐波一郎は、銀次郎の甥で養嫡子[5]。一郎は横須賀造船所黌舎で学んだのち、フランス留学を経て海軍技師として軍艦設計に携わり、海軍兵学校の教官も務めた[6]。一郎の実姉の淑は依田学海に嫁ぎ、次女は、一郎の学友で『八十日間世界一周』の訳者として知られる横浜正金銀行員の川島忠之助と結婚するも、のちに離婚[7]する。曽伯父(一郎の実兄)の藤井善言は大蔵省官吏から文部省・農商務省で書記官を務めた[8][7]。父の佐波亘は一郎の長男でキリスト教の牧師、母の澄江は植村正久の長女。姉妹に婦人之友社の編集者の佐波薫、翻訳家の中村妙子がおり、三人で共著『三本の苗木: キリスト者の家に生まれて』を上梓している。妻は斎藤勇 (イギリス文学者)の三女で斎藤光・斎藤眞の妹・富士子[9][10]。相婿に平井正穂。義弟(妹の夫)に中村英勝。叔父(父の弟)の佐波次郎は山本五十六の部下の海軍少将で、海軍航空本部で九〇式水上初歩練習機や九〇式三号水上偵察機などの開発に関わった。叔母(母の妹)に植村環。遠縁に平井正穂(妻の妹の夫)。