佐伯 チズ(さえき ちず[3]、1943年〈昭和18年〉6月23日 - 2020年〈令和2年〉6月5日)は、株式会社チズコーポレーション創業者。美容師、美容・生活アドバイザー。満洲国・新京(現中華人民共和国・長春)生まれ[4]。
外資系化粧品会社の定年退職を経て執筆活動に入り、雑誌、テレビ、各種講演などで美容・生活アドバイザーとして活動[5]。2012年から成安造形大学の客員教授も務めた[6]。
第二次世界大戦中の満洲国で生まれ、終戦前に日本へ帰国、滋賀県の親戚のもとに預けられ、オードリー・ヘプバーンへの羨望から15歳で美容に目覚める[7]。1962年、成安女子高等学校(現在の京都産業大学附属高等学校)卒業後、OLとして働いていたが、20歳のときに牛山美容文化学園(現ハリウッド美容専門学校)に入学し、美容師免許を取得。美容室で働いた後、1967年にプラネタリウム製造技師と結婚し、当時、日本初の直営サロンを作ろうとしていたゲランに入社。1982年にパルファン・クリスチャン・ディオールのインターナショナルトレーニングマネージャーに就任。1984年夫と死別。
2003年に定年退職した後、「アトリエ・サエキ144」を主宰、エステティックサロン「サロン・ドール・マ・ボーテ」を開業する。2004年、東京・代々木で総合美容施設「ビューティータワー」をプロデュース、現役エステティシャンとして活動する一方、「美肌塾チャモロジースクール」を設立し、後進育成に力を注ぐ。
2007年には、アミューズとマネージメント契約を締結[8]。
2008年にはエステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」と佐伯式美肌塾「チャモロジースクール」が東京・銀座にてオープン。
2019年から右足に違和感を覚え、同年末には思うように動かすことができなくなる。2020年3月、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患していることを公表した[9]。同年6月5日17時頃、同症状のため東京都内の自宅で死去[10][11]。76歳没。
ALS発覚後は症状が早く進行する中、ムック「夢は薬 諦めは毒」の制作に注力していた。同書籍は遺言として残したいメッセージを33の言葉にまとめたもので、7月9日に宝島社より刊行[12]。同書籍の冒頭では以下のように綴っている。
私にはまた夢が一つ増えました。それは、このALSという病気を世間の皆さまにもっと知ってもらうこと。最新の医療技術をもってしても、進行を遅らせるしか術がないこの病気を、たくさんの方に知ってもらうことでALSの治癒、寛解という希望の光がこの先の未来に差すことを祈っています。 — 「夢は薬 諦めは毒」~はじめに~ より