今村 仁司(いまむら ひとし、1942年2月26日 - 2007年5月5日)は、日本の哲学者。専門は社会思想史・社会哲学。主に1980年代以降、多数の翻訳や著作によって、フランス現代思想を中心に現代思想の諸潮流を日本に紹介した。著書に『暴力のオントロギー』(1982年)、『現代思想の系譜学』(1986年)、『社会性の哲学』(2007年)などがある。
1942年、岐阜県生まれ。岐阜県立岐阜高等学校を経て、京都大学経済学部へ進学し、1965年に卒業。京都大学大学院経済学研究科に進み、1970年に博士課程を修了。
その後は、東京経済大学経済学部教授。元々はマルクス経済学の研究者であり、当時マルクス主義の独自な認識論を展開していたフランスのルイ・アルチュセールに関心を抱き、アルチュセールを批判的に考察した諸論考を世に出した。その後労働と暴力の2つを主題にした社会哲学的視点からの論考を執筆。
1980年代前後から、ジャン・ボードリヤール、モーリス・ゴドリエ、ジャン=フランソワ・リオタールなどの翻訳のほか、啓蒙書や対談など幅広く手がけ、アルチュセール、シャルル・フーリエ、ルネ・ジラールを含めたフランスのポストモダン思想の断片を日本に紹介した。日本における80年代のポストモダン・ブーム、ニューアカデミニズム(ニューアカ)ブーム、現代思想ブームの火付け役の一人。また、1990年代前後からはピエール・ブルデュー、ヴァルター・ベンヤミンの翻訳などにも対象を広げた。
1995年に、真宗大谷派金沢教化研究室から依頼された講演をきっかけに、浄土真宗の人々と交流を持つようになった。その交流の中で、真宗大谷派の僧侶である清沢満之の哲学精神に驚き、『清沢満之と哲学』(岩波書店)を書き上げた(2003年に大谷大学へ提出した学位論文『清沢満之と哲学』であり、文学博士号を取得[1])。清沢満之を案内者として、親鸞の『教行信証』を第一級の哲学書とみなすようになった。ただし、清沢満之が重要視した『歎異抄』については、親鸞の著作でないため補助的材料以上ではないとしている[2]。
絶筆となった『親鸞と学的精神』の序に「歴史時代を異にする日本思想史上希有の二人に出会うことができたのは二重の幸運と言うべきである。」と述べている[3]。
2007年5月5日、胃癌のため死去。享年65。