乙津寺(おっしんじ[1])は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。山号は瑞甲山(ずいこうさん)。
概要
通称「鏡島弘法」(かがしまこうぼう)。正式名称より通称で呼ばれることが多い。毎月21日の縁日は大変賑わう[2]。
本尊は十一面千手観世音菩薩。
東寺及び川崎大師と並ぶ「日本三躰厄除け弘法大師」の一つ[1]。東海三十六不動尊霊場第三十一番札所。美濃三弘法札所第三番札所。美濃四国札所第四十四札所。美濃三十三観音第十九札所(2008年(平成20年)5月より)。
沿革
寺伝によれば、738年(天平10年)に行基が草庵を築き、814年(弘仁5年)に空海がこの地に赴いて寺を建立したという[2]。
1540年(天文9年)、洪水の被害を受ける。その後、1545年(天文14年)、鏡島城主石河駿河守光清が孤岫宗峻を招いて再興、臨済宗妙心寺派に改宗する。
1945年(昭和20年)、空襲により建物の殆ど[注釈 1]が全焼する。本尊などの仏像などの重要な物は近くの長良川に運び出され、難を逃れる。住職は小さな仮建物をつくり、安置する。
1953年(昭和28年)に入母屋造の本堂と拝殿を再建[2][注釈 2]。
1958年(昭和33年)には大師堂などの建物が再建され、大師堂には堂本印象から寄進された天井墨絵「雲龍」がある[2]。
文化財
- 重要文化財
その他
梅の名所である。境内の弘法の梅は、弘法大師が立てた杖に枝葉が生えて梅の木になったという。空海が堂前に梅の散杖を立て、「仏法此の地に栄えがこの杖に枝葉も栄ゆべし」と言うと、この散杖に枝葉が生じ、梅の木となったという伝承がある。
近くの長良川には「小紅の渡し」があり、毎月21日の乙津寺の縁日は賑わう。
所在地
交通アクセス
寺院の最寄りにある岐阜乗合自動車(岐阜バス)「鏡島弘法前」バス停、または岐阜県道92号岐阜巣南大野線上の「鏡島精華3丁目」バス停が最寄りである。かつては「鏡島精華3丁目」バス停も「鏡島弘法前」の名称が用いられていたが、2007年(平成19年)10月1日の改正で現在のものに改められた[3]。「鏡島弘法前」バス停からは徒歩で約5分、「鏡島精華3丁目」バス停からは徒歩で約15分。
「鏡島弘法前」方面
- JR岐阜駅バスターミナル
- 6番のりば:鏡島市橋線「(W15)市橋」行き
- 7番のりば:岐阜高富線「(G51)西鏡島」行き
- 10番のりば:鏡島市橋線「(K15)市橋」行き
- 名鉄岐阜のりば
- 1番のりば:鏡島市橋線「(W15)市橋」行き
- 3番のりば:鏡島市橋線「(G51)西鏡島」行き
- 5番のりば:鏡島市橋線「(K15)市橋」行き
「鏡島精華3丁目」方面
- JR岐阜駅バスターミナル
- 6番のりば:美江寺穂積線「(G66)巣南庁舎」行き
- 7番のりば:北方河渡線「(G61)芝原6丁目」行き
- 名鉄岐阜のりば
- 5番のりば:美江寺穂積線「(G66)巣南庁舎」行き・北方河渡線「(G61)芝原6丁目」行き
脚注
注釈
- ^ 本堂、大師堂、庫裏、宝庫、鐘楼、山門、勅使門。
- ^ 宝仏殿(本堂)に安置される木造千手観音立像・木造毘沙門天立像・木造韋駄天立像は、旧古社寺保存法に基づく国宝(いわゆる旧国宝)に指定されていたが、1950年の文化財保護法施行以後は重要文化財となっている。
出典
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
乙津寺に関連するメディアがあります。