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中村 昭(なかむら あきら、1957年4月10日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)。
上尾高では2年生の時、捕手として1974年の夏の甲子園に出場。2回戦に進むが平安高に延長13回サヨナラ負けを喫する[1]。翌1975年の夏の甲子園にも連続出場。この大会では四番打者を務め、原辰徳、津末英明らを擁する東海大相模高を準々決勝で破る。準決勝では新居浜商の片岡大蔵から初回に3点を奪うが、6回に5失点、逆転を許し敗退した[1]。
1975年のプロ野球ドラフト会議において、ロッテオリオンズに6位指名されたが拒否し、社会人野球の三協精機に進む。樋江井忠臣、伊藤弘利らとバッテリーを組むが、1978年には野球部が休部。9月に同社を退社し、同年12月にドラフト外で読売ジャイアンツに入団[2]。
巨人在籍中はブルペン捕手として一軍登録されたが[3]、試合への出場機会はなかった。1983年に現役を引退。
現役引退後は、巨人のブルペン捕手、バッテリーコーチ、球団職員を経て、2012年現在はジャイアンツアカデミーのコーチ[4]。
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