中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1941年12月24日)は、日本の劇作家、演劇研究家。文学博士。早稲田大学教授。
島根県津和野生まれ[1]。大阪に出て為替貯金管理所に勤めるかたわら、雑誌へ小説を投稿する。大阪で高須梅渓らと雑誌「よしあし草」を発行。23歳で上京し、東京専門学校(現・早稲田大学〉文学科に入学。在学中から春雨と号して「無花果」など多くの小説を発表。1903年(明治36年)で卒業(27歳)、同年結婚。妻のこうはバイオリニストで晩香女学校などで講師をした[2][3]。
1906年(明治39年)からアメリカ、ドイツ等で留学し、雑誌記者や日本人倶楽部の文書係などをしながら、演劇を研究する[4]。イプセンの影響を受けた。1909年(明治42年)12月に帰国。1910年(明治43年)、新社会劇「牧師の家」を発表し、新社会劇団を主宰し上演。のち、島村抱月の藝術座に参加し、「剃刀」など松井須磨子の当たり役となった戯曲を書く。1920年、史劇「井伊大老の死」を歌舞伎座で上演。同年イプセン会を主宰、日本へのイプセンの紹介に努めた。早稲田大学教授に就任し、演劇史を講じた[5]。晩年は頭山満に親しんだ。
1942年(昭和17年)に「日本戯曲技巧論」で文学博士号の授与が決まるも、それを待たずして 1941年(昭和16年)12月24日、脳溢血のため東京都豊島区西巣鴨の自宅にて死去[6]。墓所は豪徳寺。
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