下地 亜記子(しもじ あきこ、1943年12月5日 - 2016年11月17日[1])は、日本の作詞家。三重県出身。
上京後、学習研究社勤務を経てコピーライターに転身[2]。その後、デザイン編集事務所を設立[2]。離婚後、自宅で子育てをしながら生活する必要に迫られ、作詞の勉強を始めた[2]。
1983年、東京ロマンチカの「また逢えるような顔をして」で作詞家デビュー[2]。
2016年11月17日、肺がんにより死去。72歳没[1][注 1]。
2024年、岐阜県本巣市の淡墨公園内に代表作[8]「淡墨桜」(石原詢子)の歌碑が建立された[9]。
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