上澤 貴憲(かみさわ たかのり、1979年12月4日 - )は、埼玉県川越市[1]出身のフットサル選手。ポジションはフィクソ。フットサル日本代表。
埼玉県川越市出身。小学4年時に高階イレブンズでサッカーを始めた[2]。中学年代では川越市立高階西中学校サッカー部でプレーし、埼玉県中学選抜に選ばれた[2]。中学時代に背番号7を付けたことがきっかけで、後の高西クラッシャーズ、大洋薬品BANFF、名古屋オーシャンズ、府中アスレティックでも7番を付けている[3]。
サッカー推薦で狭山ヶ丘高等学校に進学してサッカー部に所属したが、2年時からは町クラブの三菱養和サッカークラブユースでプレーした[2]。やはりサッカー推薦で城西大学に進学し、大学でもサッカー部に所属した[2]。
大学4年時に高階西中学校時代の友人と高西クラッシャーズ(現・埼玉アルティスタ)を結成[2]。高西クラッシャーズは埼玉県リーグに所属し、上澤自身は日本代表候補に選ばれた[2]。埼玉時代には4年間ほどサラリーマン生活を送っていた[3]。
翌年に発足する予定のFリーグ参加を前提として2006年に大洋薬品BANFFが結成されると、眞境名オスカー監督によって東海フットサルリーグの大洋薬品BANFFに引き抜かれた[2]。愛知県では初めて一人暮らしを経験し、東海リーグ・全日本フットサル選手権大会・FUTSAL地域チャンピオンズリーグの3冠を達成した[1]。
2007年に日本初の全国リーグであるFリーグが開幕すると、上澤は大洋薬品BANFFから改名した名古屋オーシャンズと契約し、2007-08シーズンの開幕戦でFリーグ第1号ゴールを決めた[2]。名古屋オーシャンズはこのシーズンに初代Fリーグ王者となり、2008-09シーズンにはFリーグ2連覇を達成した[2]。
2009年5月、関東フットサルリーグからFリーグに参入した府中アスレティックFCに移籍[2]。2010年の全日本選手権・準決勝の湘南ベルマーレ戦では、後半20分間のうち約19分間も出場するスタミナを見せている[3]。フットサル日本代表としては2010年に2010 AFCフットサル選手権に出場した。2011年には名古屋オーシャンズ時代にチームメイトだった山田ラファエルユウゴや完山徹一と再会した[3]。2011-12シーズンまでのFリーグ出場記録は116試合出場47得点。
2012-13シーズン開幕前に足を痛め、8月中旬には手術を行った。2012-13シーズン開幕時の登録が見送られた上に、2012 FIFAフットサルワールドカップの出場を逃し、2013年5月には依然として治療に専念していることが明らかにされた[4]。