ローマ県(ローマけん、イタリア語: Città metropolitana di Roma Capitale)は、イタリア共和国ラツィオ州にある県級行政区画。県都はイタリアの首都であるローマ。県の人口は約430万人で、イタリアの県では最大である。ローマ大都市圏 (Rome metropolitan area) に含まれるとみなされるが、北部を中心とする周縁部には田園地帯も広がっている。
法制上の位置づけは、2015年1月1日に従来の県(Provincia)から大都市(Città metropolitana)[3]に移行した。
イタリア語版ウィキペディア等では廃止された Provincia di Roma と新設された Città metropolitana di Roma Capitale(英語版では Metropolitan City of Rome Capital) が別項目になっているが、便宜上双方を「ローマ県」として本項で扱う。
イタリア半島中部のティレニア海側に位置し、ラツィオ州の中部にあたる県である。ローマ県の面積は約 5400 km2で、ラツィオ州の約1/3を占めている。なお、県域の約1/4をローマ市域が占める。
隣接する県は以下の通り。
また、県域の中にバチカン市国がある。
ローマの南東に、アルバーノ湖に面してローマ教皇が避暑に訪れるガンドルフォ城のあるカステル・ガンドルフォがある。
1870年、イタリア王国が教皇領を占領し、10月15日付の勅令でローマ県を設置した。当初は、それまでの教皇領の行政区画に対応し、下位区分として郡(Circondario)が置かれた。すなわち、ローマ (it:Circondario di Roma) 、チヴィタヴェッキア (it:Circondario di Civitavecchia) 、フロジノーネ (it:Circondario di Frosinone) 、ヴェッレトリ (it:Circondario di Velletri) 、ヴィテルボ (it:Circondario di Viterbo) の5郡である[4]。最初の地方選挙は1870年11月13日に実施された[5]。
1923年には、ペルージャ県に属していたリエーティ郡 (it:Circondario di Rieti) がローマ県に編入された[6].。
1927年、フロジノーネ県、リエーティ県、ヴィテルボ県が新設され、ローマ県から分離した[7]。また数ヶ月後には、アマゼーノ、カストロ・デイ・ヴォルシとヴァッレコルサがフロジノーネ県に、モンテ・ロマーノがヴィテルボ県に、それぞれ移管された[8]。
1934年にはラティーナ県が新たに設立され、ローマ県は縮小した。
ローマ県には121のコムーネが属する。主要なコムーネ(人口4万人以上)は下表の通り。左端の数字はISTATコードを示す。人口は2014年1月1日現在 [2]
広域行政組織である山岳部共同体(イタリア語版)としては以下がある。
県庁は、ローマのヴェネツィア広場近傍のパラッツォ・ヴァレンティーニ (it:Palazzo Valentini) に置かれている。
県内に本拠を置くプロサッカークラブとしては以下がある。所属リーグは2019-20シーズン現在。
ローマの中央駅にあたるのはローマ・テルミニ駅で、イタリア国内主要都市のほか、パリ、ミュンヘン、ジュネーブ、バーゼル、ウィーンへの国際線も発着している。
ローマの主要な旅客用空港として、フィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港)とチャンピーノ空港がある。フィウミチーノ空港はイタリア最大の国際空港の一つであり、イタリアのフラッグキャリアであるアリタリア航空の本拠地である。チャンピーノ空港は短距離便や格安航空会社が発着する。
チェントチェッレ空港は、1909年4月15日にライト兄弟がライトフライヤー号でデモンストレーションを行った場所であり、イタリア最古の飛行場である。
チヴィタヴェッキア港は、「ローマの外港」、「ローマ港」Porto di Roma とも呼ばれる重要な港湾都市であり、イタリア最初の鉄道路線(ローマ=チヴィタヴェッキア線、現在のピサ=リヴォルノ=ローマ線の一部)もローマとチヴィタヴェッキアとの間に建設されている。サルディニア島、シチリア島、マルタ島、チュニス、バルセロナなどへの主要航路が発着するとともに、地中海クルーズ船の拠点ともなっている。
ローマ市を除くローマ県下に関連する人物を掲げる。
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