ランボー・フィールド Lambeau FieldThe Frozen Tundra / Titletown USA / The Shrine of Pro Football
施設情報 所在地
アメリカ合衆国 1265 Lombardi Avenue, Green Bay , Wisconsin 位置
北緯44度30分5秒 西経88度3分44秒 / 北緯44.50139度 西経88.06222度 / 44.50139; -88.06222 座標 : 北緯44度30分5秒 西経88度3分44秒 / 北緯44.50139度 西経88.06222度 / 44.50139; -88.06222 起工
1956年10月11日 開場
1957年9月29日 (67年前) (1957-09-29 ) 修繕
2001–2003, 2012–2015 拡張
1961, 1963, 1965, 1970, 1985, 1990, 1995, 2003, 2013 所有者
グリーンベイ市 、Green Bay/Brown County Professional Football Stadium District 運用者
グリーンベイ・パッカーズ グラウンド
グラスマスター 建設費
96万ドル (建設時:2019年現在 510万ドル) 2.95億ドル(2003年リノベーション:2019年現在 410万ドル) 設計者
Somerville Associates Ellerbe Becket(2003年リノベーション) 総合建設者
Geo. M. Hougard & Sons 旧称
シティ・スタジアム (1957–1964) 使用チーム、大会
グリーンベイ・パッカーズ (NFL )1957~現在 収容人員
81,441人
ランボー・フィールド (Lambeau Field )は、アメリカ合衆国 ウィスコンシン州 グリーンベイ にある屋外競技場。ナショナル・フットボール・リーグ (NFL)のグリーンベイ・パッカーズ の本拠地である。1957年 、シティ・スタジアム (City Stadium )として開場し、グリーンベイ東高校のシティ・スタジアム に代わって、パッカーズの本拠地となった。開場後、最初の8シーズンはニュー・シティ・スタジアム (New City Stadium)として非公式に知られていたが、1965年 8月、パッカーズの創設者であり、選手であり、また長年ヘッドコーチを務めたカーリー・ランボー が2ヶ月前に亡くなったことを記念して現在の名称に改名された。
1968年 8月に元ヘッドコーチのヴィンス・ロンバルディ に敬意を表してハイランド・アベニューの名称が変更されて以来、スタジアムの住所は「1265 ロンバルディ・アベニュー」となっている。 北はロンバルディ・アベニュー、東はオネーダ・ストリート、南はスタジアム・ドライブとバレー・ビュー・ロード、西はリッジ・ロードに囲まれたブロックに位置している。スタジアムは、海抜640フィート(195メートル)の高さにある、従来の南北の整列を維持している。
2013年 夏、サウスエンドゾーンの高さ7,000席を追加して最新の改修を完了した。新設された座席のうち約5,400席が一般席で、残りの1,600席はクラブ席またはテラススイート席となっている。 ランボー・フィールドの収容人数は81,441人で、スタンディングルームのあるNFLでは5番目に大きいスタジアムであるが、通常の収容人数では3番目である。 現在ではウィスコンシン州最大の競技場となっており、マディソン にあるウィスコンシン大学 のキャンプ・ランドール・スタジアム (英語版 ) (80,321人)を抜いている。
2007年 、パッカーズはランボー・フィールドで51シーズン目を終え、シカゴ・ベアーズ がリグレー・フィールド で記録したNFL最長記録(1921年から1970年の50年間)を更新した。同じくシカゴ のソルジャー・フィールド の方が古いものの、ベアーズは1971年までホームゲームを行わなかった。ただし、全米のプロスポーツの中で本拠地での活躍期間が最も長いのは、フェンウェイ・パーク のボストン・レッドソックス とリグレーフィールドのシカゴ・カブス (共にMLB )である。
概要
それまでのパッカーズの本拠地シティ・スタジアム が狭く、老朽化していたことから移転の話が持ち上がり、当スタジアムの建設へと至った。
1957年にシティ・スタジアム (City Stadium)としてこけら落とし。1964年にパッカーズ創設者カーリー・ランボー にちなみ、現名称へ変更。開場当初からNFL のグリーンベイ・パッカーズ の本拠地として使用されている。2003年には大規模な改修工事を行い、現在の収容人数は80,750名となった。その後も改修が続けられ、現在の収容人数は81,441人である。これはNFLでは5番目に大きく、またウィスコンシン州 で最も大きい施設である。スタジアムそのものの規模・設備はスーパーボウル が開催する基準を満たしているが、グリーンベイの規模や寒冷地の屋外競技場である点がネックとなりいまだ開催経験が無い。現在、パッカーズのスタジアム使用年数は67年であり、NFLで最も長い記録となっている[ 1] 。
1967年12月31日、1967年NFLチャンピオンシップゲーム (別名アイスボウル)が氷点下25度の寒さの中で行われた。これはNFL の試合で最も低い気温の中で行われた試合である。この試合では芝を暖めるヒーターも故障した。この試合が名将ヴィンス・ロンバルディ がランボー・フィールドで指揮した最後の試合となった。
1993年12月26日に行われたパッカーズとロサンゼルス・レイダース 戦でファンブルリターンタッチダウンをあげたリロイ・バトラー (英語版 ) が観客席に飛び込んだ。これが「ランボー・リープ」の始まりとなった[ 2] 。
2009年11月1日にはパッカーズで16シーズン不動のエースQBとして活躍したブレット・ファーヴ に対してランボー・フィールドのファンはブーイング で迎え撃ったが試合はファーヴの活躍でミネソタ・バイキングス が38-26でパッカーズを破った[ 3] 。
伝統
ランボー・リープ
ジェームズ・スタークス (英語版 ) によるランボー・リープ
パッカーズの多くの選手はタッチダウン を決めた後、セレブレーションとしてランボー・リープ (Lambeau Leap)と呼ばれる、エンドゾーンスタンドに飛び込むパフォーマンスを行う。ランボー・リープは、1993年 12月26日のロサンゼルス・レイダース 戦で、レジー・ホワイト のファンブル リカバリーとラテラル の後に得点したセイフティ のリロイ・バトラー (英語版 ) によって生み出された。後にワイドレシーバー のロバート・ブルックス (英語版 ) によって普及した。
このセレブレーションがいつ頃から「ランボー・リープ」と呼ばれるようになったのかは正確には分かっていないものの、最初に言及された可能性があるものとして、1996年 に放送されたマンデーナイトフットボール の中で、キャスターのアル・マイケルズ が「グリーンベイの新しい伝統で、ロバート・ブルックスがスタンドに飛び込んだ」と述べたことが最初であると考えられている。
2000年 にNFLが過度のセレブリティを禁止した際、ランボー・リープはその新ルールから除外され、特別に継続が認められた。
しばしばアウェイの選手がランボー・リープを試みるが、パッカーズのファンによって拒否されることがある。ミネソタ・バイキングス のコーナーバック であったフレッド・スムート (英語版 ) は、パスインターセプトのタッチダウンをした際に試みた。2007年 のNFCチャンピオンシップの試合中、ニューヨーク・ジャイアンツ のランニングバック のブランドン・ジェイコブス (英語版 ) は、タッチダウンを決めた後にランボー・リープのフリをして、スタンドにいた多くのパッカーズファンを怒らせた。また、2009年 9月20日にはパッカーズとの試合の前、シンシナティ・ベンガルズ のワイドアウト のチャド・ジョンソン (当時の登録名は、チャド・オチョシンコ)が、タッチダウンを獲得したらランボー・リープを行うと発表した。そして実際に、事前に手配されたベンガルズのジャージを着たファンの腕に飛び込んだ。
2014年 、スタジアムの外にランボー・リープを記念した銅像が建てられた。エンドゾーンの壁を模したレプリカと4人のパッカーズファンがランダムに配置されたこの像は、訪問者がランボー・リープをして写真撮影することができる。
NFLネットワーク のカウントダウン番組「NFLトップ10」では、ランボー・リープを「3番目に偉大なタッチダウン・セレブレーション」として選出した。
脚注
外部サイト
フランチャイズ 球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 リーグ優勝 (13回) カンファレンス優勝 (9回) 地区優勝 (20回) できごと 所属
AFC
NFC
その他
1 ニューヨーク・ジェッツ(AFC)とニューヨーク・ジャイアンツ(NFC)の共同本拠。
2 ロサンゼルス・チャージャーズ(AFC)とロサンゼルス・ラムズ(NFC)の共同本拠。