ラジオジャックは琉球放送(RBCラジオ)で1985年4月8日~1993年10月1日の8年半に渡って放送したラジオ番組。開始前まで同時間枠で放送していた『ナイトヤングメイツ』『シャッフルナイト』などの後番組として開始。
放送開始当時のパーソナリティは土方浄、箕田和男、柳卓、玉城美智子、比嘉京子(いずれもRBCアナウンサー(当時))が平日(月~金)日替わりで担当。その後は初期パーソナリティの降板で、1人で複数曜日を担当したり、新たなパーソナリティの登場などで入れ替えが度々あり、初期パーソナリティの中で最後まで務めた箕田和男(ミノカズ)アナも1992年9月28日を最後に降板。アシスタントを務めた、クロマルこと大田和正に交代した。
放送終了時のパーソナリティはクロマル(大田和正)、三輪真佐子アナ、橋本邦彦アナ、富原志乃、北野順一(JK)が日替わりで担当。
放送時間は開始当時は22:30 - 24:00の1時間半だったが、その後は日付が変わって、24:00を過ぎて2時間番組の時があり、短いときは22時台だけの50分番組だったりなど放送時間が度々変わり、放送終了時は22:00 - 23:20の1時間20分だった。
毎年10月の番組改編後~翌年1月初めの3ヶ月間は専門学校を紹介する10分番組が放送された関係で、この時期は放送時間を10分間 縮小した。
1993年10月1日、この日のパーソナリティを務めたJKこと北野順一が「ラジオジャック終了」のアナウンスで8年半の幕を閉じた。後番組は「ラジ・ゲリラ」(1993年10月4日 - 1995年4月7日)。
1990年6月 - 1991年4月の9ヶ月間、金曜日は「東京発ラジオジャック『うりひゃー!東京カラーランド』」(RBC東京支社 制作)として東京から放送。1990年9月までは月曜 - 木曜でも5分間のミニ番組として放送。通常のラジオジャックはその後、ステーションブレイク無しで放送。10月以降は「東京発ラジオジャック」の冠タイトルは無くなり、別番組となったが放送時間枠は22時台のみに縮小した。
春闘などでストとなった場合は仲地昌京アナ(当時)が「いつもなら、この時間はラジオジャックの時間ですが今日は都合により、レコード音楽をお送りします」と番組枠を使い、懐かしい音楽を掛けた。
箕田和男
比嘉京子
玉城美智子
土方浄
柳卓
橋本邦彦
富原志乃
三輪真佐子
北野順一
大田和正(クロマル)
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