1994年、テリー・リチャーズ(Terry Richards)のリングネームでデビューし、地元であるミシガン州のMWCW(Mid-West Championship Wrestling)、オハイオ州のCAPW(Cleveland All-Pro Wrestling)やカナダのBCW(Border City Wrestling)、IWA(International Wrestling Alliance)など各地のインディー団体を転戦[2]。カナダのインディー団体ではクリスチャン・ケイジやセクストン・ハードキャッスルといったレスラー達とユニットを結成して活動。1995年にはWCWやWWFの二大メジャー団体にスポット参戦している。
2000年2月、ロブ・ヴァン・ダムの故障により空位となったECW世界TV王座を賭けて2月19日のECW on TNNにてサンドマンと対戦するが反則攻撃の応酬に事態が収拾できずにノーコンテストとなる。3月にはECW世界TV王座争奪トーナメントに出場。決勝まで進出してスペル・クレイジーと対戦するも敗戦し、優勝する事ができなかった。4月22日にはECW世界TV王座を保持するTAJIRIと対戦して勝利しベルトを奪取した。8月26日にはキッド・キャッシュと対戦してベルトを奪取されるが9月9日に再戦して王座に返り咲いた。
2001年1月7日、Guilty as Charged 2001にてECW世界ヘビー級王座を保持するサンドマンに挑戦して勝利し、ベルトを奪取。ECW存続時におけるECW世界ヘビー級王座、ECW世界TV王座の両王座を保持した最後のチャンピオンとなった[5]。
WWE解雇後、ペンシルバニア州のAPWF(Allied Powers Wrestling Federation)、ニュージャージー州のJAPW(Jersey All Pro Wrestling)に転戦。7月よりジェフ・ジャレットが主宰するTNAと契約を交わし入団。同月19日のiMPACT!にてデビューし、クリス・セイビンと対戦して勝利を飾った。9月11日、PPVであるUnbreakable 2005にてNWA世界ヘビー級王座を保持するレイヴェンに対しレイヴェンルールなるリング全体に凶器で集められたデスマッチで対戦する事になるが敗戦。同月26日にはWWEがECW One Night Stand 2005を開催する前にアンチテーゼを唱えたシェーン・ダグラスが先手を打って開催したECWリユニオンイベントであるHardcore Homecomingに参戦し、レイヴェンと対戦した。10月23日、TNA年間最大のイベントであるBound for Glory 2005にて4wayモンスターボール・マッチ、NWA世界ヘビー級王座挑戦権争奪10人制ガントレットマッチで勝利して挑戦権を獲得。メインイベントにて王座を保持するジェフ・ジャレットと対戦して勝利し、ベルトを奪取した。
2008年3月には再び新日本プロレスに参戦。New Japan Cup 2008に出場するが2回戦で矢野と対戦して敗戦し、リベンジを許した。4月よりクリスチャン・ケイジ率いるチーム・ケイジの一員として活動。5月11日、Sacrifice 2008でのデュース・ワイルドトーナメント、6月8日、Slammiversary 2008でのキング・オブ・マウンテンマッチ、7月13日のVictory Road 2008でのフルメタル・メイヘムマッチなど様々な試合でクリスチャンをサポートしていたもののクリスチャンのWWE復帰の話がリークされた為にメインイベント・マフィアに襲撃されてアングル上フェードアウトさせるという措置を取った。チーム・ケイジ解散後はキュート・キップ&ビューティフル・ピープル(アンジェリーナ・ラブ&ベルベット・スカイ)との抗争にてODB、ラカ・カーンといった女子レスラーと組んでミックスマッチを行った。
2009年になるとiMPACT!での出場機会は減少してハウスショーでの出番が中心となるが2010年7月よりTNA版ECWオリジナルズであるEV 2.0(Extreme, Version 2.0)を結成。8月8日、ECWリユニオンPPVであるHardcore Justiceにてアル・スノー、ブラザー・ラントと3wayイリミネーションマッチを行い勝利した。EV 2.0とリック・フレアー率いるフォーチュンとの抗争においてトップの一人として活躍するがメンバー達が徐々に解雇され始めるとユニット内での抗争へと発展。11月15日、トミー・ドリーマーとのストリートファイトで敗戦。そして12月5日のFinal Resolution 2010にてロブ・ヴァン・ダムとファーストブラッドマッチを行い敗戦した事によりTNAから解雇となった。
インディー団体
TNA解雇後、2011年2月よりカナダのMPW(Maximum Pro Wrestling)やGCW(Great Canadian Wrestling)を転戦。3月にはWWF、WCWなどに参戦した経験のあるハードコア・ヒップホップデュオのICPが主宰するJCW(Juggalo Championship Wrestling)に参戦。5月には新日本プロレスがアメリカ東部で行ったInvasion Tour 2011に出場。15日にはアサイラム・アリーナにて真壁刀義とストリートファイトを行うが敗戦した[6]。6月11日、ROHのROH Best In The World 2011に参戦。ホミサイドとノー・ホールズ・バード・ストリートファイトで対戦するが敗戦。この試合をきっかけに8月よりROH所属となる。
2012年2月17日、ミュージシャンのビリー・コーガンが主宰するRPW(Resistance Pro Wrestling)に参戦。RPWヘビー級王座を保持する元WWE所属のハリー・スミスに挑戦するが敗戦。この試合の一件により抗争へと展開し、3月23日にはRPWヘビー級王座と自分がかつて保持していたECW世界ヘビー級王座を賭けてダブルタイトルマッチを行うがノーコンテストになる。そして5月11日に決着戦としてケージマッチ、そしてスペシャルレフェリーにレイヴェンを呼んで試合に挑むが敗戦した。ROHでは若手レスラー達の門番となりつつもトマソ・チャンパとのザ・エンバシー(The Embassy)、トゥルース・マルティーニ率いるヒールユニットであるハウス・オブ・トゥルース(The House of Truth)にメンバー入りし、マイケル・エルガンとのタッグを結成。シングルでも9月15日にはROH世界ヘビー級王座を保持するケビン・スティーンに挑戦している。10月6日、トミー・ドリーマーが旗揚げした団体であるHOH(House of Hardcore)に参戦し、サミ・キャラハンを相手に勝利。同月20日、RPWとウィスコンシン州のGLCW(Great Lakes Championship Wrestling)の合同イベント、Point of EntryにてNWA世界ヘビー級王座を保持するアダム・ピアースに挑戦するが王座を奪取するに至らなかった。2013年1月5日、ROHにて一大ヒールユニットであるSCUM(Suffering, Chaos, Ugliness, and Mayhem)にメンバー入り。リング内外を暴れ回った。