モルデ・フォトバルクルッブ(Molde Fotballklubb (ノルウェー語発音: [ˈmɔ̂ɫdə] ( 音声ファイル)))は、ノルウェーのムーレ・オ・ロムスダール県モルデを本拠地とし、1911年6月19日に設立されたサッカークラブである。
2018年現在、ノルウェーのトップリーグであるエリテセリエンで活動をし、アケル・スタディオン(1998年供用開始)をホームグラウンドとしている。現在のアケル・スタディオンの最大収容人数は11,800人である。クラブ史上最多観客動員数は、本拠地がモルデ・イドレッツパルク(英語版)だった1987年10月10日のモス戦での14,793人である[1]。
マンチェスター・ユナイテッドで活躍したオーレ・グンナー・スールシャールがプロサッカー選手人生を始めただけでなく、2011年から指導者人生を歩み始めたのがこのクラブである(現役時代、42試合に出場31得点を記録[2])。モルデはエリテセリエン3回、ノルウェー・カップを4回制覇、そしてエリテセリエン2位が7回ある。最も輝かしい歴史はUEFAチャンピオンズリーグ 1999-2000に出場、レアル・マドリード、ポルト、オリンピアコスといったビッグクラブをモルデに迎えたことである。
モルデFKは1911年6月19日に発足した。専ら貿易船やクルーズ船でモルデを訪れた人々を相手に試合を行なっていたことから、当初はインテルナチオナルとして活動していた。しかし近隣の町でもサッカーに興じるクラブが増えてきたため、モルデ・フォトバルクルッブ (Molde Fotballklubb) に改名することを強いられた。
ホーヴェドセリエンに所属した1957-58シーズンを除き、1970年代初めまで、クラブは一地方の下位リーグに所属するクラブであった。若手有望選手がトップチームに加入したことにより、 1974年にホーヴェドセリエンに復帰。このころ所属していた選手がヤン・フグルセ, オゲ・ハレイデ, ハリー・ヘスタ等である。
それ以来、モルデは常にトップリーグにとどまり、ノルウェーを代表するクラブのひとつとなる。また数々の代表選手を輩出し、国外のプロリーグへ移籍したものもいる。著名な選手の一人にマンチェスター・ユナイテッドのスター選手の オーレ・グンナー・スールシャールである。
リーグ戦の優勝タイトルは縁がなかったが、漸く2011年シーズン (ノルウェー語) にエリテセリエン制覇を果たした。1987年シーズン (ノルウェー語) に、モスFKを迎えたホームゲームで0-2で敗れたため優勝を決められてしまった。その試合では14,615人が詰めかけモルデ・イドレッツパルクでの最多観客動員数を記録した。
2011年のエリテセリエン初制覇以前は、準優勝が7回(1974年、1987年、1995年、1998年、1999年、2002年、2009年)のシルバーコレクターと呼ばれている。特に2009年シーズンはエリテセリエン復帰2年目であったことから注目に値すべきといえよう。
カップ戦において、1982年と1989年に決勝進出したもののどちらも優勝を逃している。1994年にはリンを3-2で下し、初めてのカップ戦制覇を果たした。
特に1990年代末期からは資金を工面するために、ハリー・ヘスタ、オゲ・ハレイデ、シェティル・レクダル、オーレ・グンナー・スールシャール、ペッテル・ルディ、トロン・アンデルセン、アンドレアス・ルン、ヨー・テッセム、ロブ・フレンド、マメ・ビラム・ディウやパープ・パテ・ディウフといったスター選手を国外へ移籍させた。
ノルウェーを代表するコーチのオーゲ・ハレイデは、1987年から91年と1993年から97年にモルデを指揮していた。ここ以外にもノルウェー代表、ヘルシンボリ、ブロンビー、ローゼンボリ、エルグリーテでも監督を務めており、バイキングを指揮している。
2011シーズンよりスールシャールが監督に就任。3月18日の開幕戦はサルプスボルグ08に0-3と大敗し、4月3日に行われたホーム開幕戦トロムソIL戦は2-2の引き分けに終わる。 最終的にリーグ戦では、ローゼンボリには一度も勝てなかったが勝ち点差で上回ったため優勝した。
現在は、3部門に55のチームと約900人の構成員からなるクラブに成長している。[3]
1998年に落成した現在のスタジアムは、モルデ中心部の海辺に立地しノルウェーを代表するサッカー場である。総工費は2億1200万クローネ(約37億3100万円[4])と投資家のシェル・インゲ・レッケ (Kjell Inge Røkke) 、ビョルン・ルネ・イェルステン (Bjørn Rune Gjelsten) の両者からの寄付のおかげで完成した、後に「レッケレッカ (Røkkeløkka) 」というあだ名が付けられることになる。2006年5月4日から レッケ氏の関連企業であるアケルがスポンサーになったことにより、モルデ・スタディオンから現名称であるアケル・スタディオンに改称された。
1998年4月18日、当時の首相でモルデファンのヒェル・マグネ・ボンデヴィークによって正式に開業した。[5] こけら落としの試合は、リールストロムを4-0で下しシーズン最初のホームゲームに13,010人が詰めかけた。[6]記念すべきのゴール第1号はトミー・ベルントセンのオウンゴールであった、モルデの選手によるゴール第1号はダニエル・ベルグ・ヘスタであった。[7]モルデ・スタディオンでの最多観客動員数は、1998年9月26日のローゼンボリ戦の13,308人である。[5][8] UEFAチャンピオンズリーグ 1999-2000グループステージ進出に伴い全席に椅子を設けた結果、最大収容人数は11,800人にまで減ることとなった。[9] [5]
現在の本拠地に移転する1998年以前、1955年からモルデ・イドレッツパルク(モルデ・スタディオンやガムレ・モルデ・スタディオンと呼ばれていたこともあった)という公営・多目的施設で試合を行なっていた。[10] ガムレ・モルデ・スタディオンは1955年8月28日に落成、こけら落としの試合ではクリスチャンスンに1-0[11] で下し2,500人が詰めかけた。[11] 最上位リーグでの初試合は、1957年7月28日に行われたサンデフィヨルとのリーグ開幕戦で、結果1-1の引き分けに終わった。[11] モルデがフォルシュテ・ディヴィションに昇格した1974年シーズンにメインスタンドの拡張した。[11] ここでの最多観客動員数1987年10月10日に行われたモスFK戦の14,793人でクラブ史上最多を維持し続けている。[1]アケル・スタディオンに移転した今では、SKトレフとモルデFK 2の本拠地となっている。
トルネクラテット (Tornekrattet、直訳:トルネの茂み) は、モルデFKのサポーター集団であるとともに、独立系無党派に属する。1994年のノルウェーカップ決勝戦後にザ・グランリ・ギャング (The Granlia gang) として結成。モルデ・イドレッツパルク(旧スタジアム)時代には観客席の左側立見席上位に陣取っていたが、アケル・スタディオンに移転してからは西側右隅下位に陣取るようになった。現在トルネクラテットは、ノルウェーを代表する老舗サポーター集団のひとつとなり、構成員は約1,100人を数える[要出典]
出自: [12]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
[14]
出自: [18]
モルデは1958年の選手権大会に出場できたものの、1963年に発足したフォルシュテ・ディヴィションに参戦できたのは1974年からである。[19]
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