この項目では、醸造酒について説明しています。フランスの作曲家については「ウジェーヌ・ボザ 」をご覧ください。
トルコのボザ
ブルガリアのボトル入りのボザ
ボザ (Boza、トルコ語:boza[ 1] [ 2] )は、トルコ 、アルバニア 、ブルガリア 、キルギスタン 、マケドニア 、モンテネグロ 、ボスニア・ヘルツェゴビナ やロシア 、セルビア 、ウクライナ の一部等で人気のある、麦芽 を用いた発酵 飲料である。ポーランド やリトアニア でも飲まれている。アルバニアではトウモロコシ と小麦 、トルコでは発酵させた小麦、ブルガリアとルーマニア では小麦か雑穀 から作られる。どろっとしているが、アルコール度数 は通常約1%と低い。かすかに酸味のある甘い香りを持つ。ルーマニア語 ではブラガ (bragă)。
歴史
1880年 ブカレスト のブラガ売り
ボザは10世紀頃に中央アジア で作り始められ、後にカフカース やバルカン半島 に広がった。オスマン帝国 の時代には最盛期を迎え、オスマン帝国時代の初期には多くの都市や町でボザの醸造が主要な経済活動の一つとなった。16世紀までは、ボザはどこでも自由に飲めたが、アヘン を混ぜたいわゆるタタール ボザの製造が当局の怒りを買い、スルターン のセリム2世 によって禁じられた。彼は、アルバニアの多くの地域で作られる白色でノンアルコールの甘いボザについても記している。
17世紀 に入ると、スルターンのメフメト4世 はアルコール飲料を禁じたが、この適用にはボザも含まれたため、ボザを扱う全ての店が閉店させられた。17世紀のトルコの旅行家エヴリヤ・チェレビ は、この当時もボザは広く飲まれており、イスタンブール だけでボザを扱う300の店で1005人が雇用されていたことを記している。この頃、ボザはイェニチェリ の兵士に広く飲まれていた。ボザには体を温める効果や強壮作用があると信じられており、少量のアルコールしか含まれていないため、酩酊 を引き起こすほど大量に飲まない限りは許可されていたからである。エヴリヤ・チェレビは、「軍隊の中にはボザを作るものがたくさんいる。酩酊する程の大量のボザを飲むことは罪であるが、ワインとは異なり、少量を飲むことは非難されない。」と説明している。19世紀になると、オスマン帝国の宮殿で好まれる甘いノンアルコールのアルバニア風ボザの人気が増し、アルメニア 風の酸っぱくアルコールの入ったボザは人気を失っていった。1876年 、ハジ・イブラヒム(Haci Ibrahim)とハジ・サディク(Haci Sadik)兄弟が、当時のイスタンブールの歓楽の中心地だったディレクララス地区(Direklerarası)に近いヴェファ地区 (Vefa)にボザの店を開店した。彼らの濃厚で酸味のあるボザは街中で有名になり、当時から現在まで続いている唯一のボザ店となっている。現在は、イブラヒムとサディクの玄孫 たちが経営を行っている。
生産と貯蔵
ボザはバルカン半島やトルコの大部分で作られている。風味は、使用した穀物の種類によって異なる。トルコ科学技術研究所(Turkish Science and Technology Institute)によって行われた科学的研究で、この飲料はとても健康的で栄養価が高いと認定された。1リットル のボザは約1000カロリー で、ビタミンA 、B 、E を含む。また発酵中に生成した乳酸が消化を助ける[ 3] 。
ボザは冷所で保存する必要があるため、伝統的なトルコの業者は夏場には販売を行わず、ブドウ ジュースやレモネード 等の替わりの飲み物を販売する。しかし、需要や冷蔵庫の普及もあることから、現在では年中手に入るようになっている。ブルガリアやアルバニア、マケドニアでは、清涼飲料水 として通年で作られている。
トリビア
ボザには、女性の胸を大きくする効果があると言われている[ 4] 。またボザには母乳 の生産を促す作用があるとされ、授乳期の女性に勧められている[ 3] 。
出典
外部リンク
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