- フィジー植民地
- Colony of Fiji(英語)
iTikotiko vakaitikotiko e Viti(フィジー語)
फिजी की कॉलोनी(ヒンディー語)
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- 国歌: God Save the Queen(英語)
女王陛下万歳
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フィジー植民地(フィジーしょくみんち、英語: Colony of Fiji)は、現在のフィジーにあたる地域に存在していたイギリスの直轄植民地である。
解説
イギリスは1852年、フィジー王国を併合する機会を拒否した。セル・エペニサ・ザコンバウはトゥイ・ヴィティ(フィジー国王のこと)の称号を保持することを条件に、島々の割譲を要求した。しかしこの要求は、イギリス軍にとって受け入れ難いものであり、また借金が膨れ上がっていたこともあり、ザコンバウは1871年にオーストラリアと借金返済の合意をし、ヨーロッパ人入植者が多数を占める立憲君主制の政府を樹立した。新政府の崩壊を受け、ザコンバウは再び割譲の要求をし、イギリスはこれを受け入れた。1874年10月10日よりイギリスの統治が始まり、1970年10月10日まで続いた[1][2][3][4]。
脚注
- ^ Sarah Searight, "The British Acquisition of Fiji" History Today (Nov 1972), pp 806–813, online
- ^ William D. McIntyre, "Disraeli's colonial policy: The creation of the Western Pacific High Commission, 1874–1877." Historical Studies: Australia and New Zealand 9#35 (1960): 279–294.
- ^ Owen Parnaby, "Aspects of British policy in the Pacific: The 1872 pacific islanders protection act, " Historical Studies: Australia and New Zealand 8#29 (1957) pp 54-65 https://doi.org/10.1080/10314615708595097
- ^ Paul Knaplund, "Sir Arthur Gordon and Fiji: Some Gordon-Gladstone Letters." Historical Studies: Australia and New Zealand 8#31 (1958) pp 281–296.
座標: 南緯17度41分02秒 東経178度50分24秒 / 南緯17.6840度 東経178.8401度 / -17.6840; 178.8401