パース (英語 : HMAS Perth, D29 ) は、オーストラリア海軍 の軽巡洋艦 。パース級軽巡洋艦 のネームシップ 。1936年7月にイギリス海軍 の改リアンダー級軽巡 アンフィオン (英語 : HMS Amphion ) として就役した。南アフリカ戦隊に配備されたあと、1939年にイギリス連邦 のオーストラリア に貸与されてパース と改名した。
第二次世界大戦 の緒戦では船団護衛任務や地中海戦線 に投入され、1941年(昭和16年)3月下旬のマタパン岬沖海戦 に参加した(地中海攻防戦 )。太平洋戦争 勃発後の1942年(昭和17年)3月1日、バタビア沖海戦 で沈没した。
艦歴
改リアンダー級軽巡は、1931年度計画で2隻(アンフィオン、フェートン )、1932年計画でアポロ の建造が決まった。アンフィオンはポーツマス工廠 で建造された[6] 。1932年12月1日発注[6] 。1933年6月26日起工、1934年7月26日(または7月27日[7] )に進水 し、1936年6月15日にポーツマス で就役した[6] [注釈 1] 。
アンフィオンは第6巡洋艦戦隊 に編入され、南アフリカ へ移動しアフリカ艦隊 の旗艦となった[6] 。ここには姉妹艦ネプチューン (HMS Neptune, 20 ) も配備されていた。1938年末にはイギリスに戻り、改装工事を実施[6] 。
アンフィオンはオーストラリア政府に購入され、1939年6月29日にポーツマスでパース (HMAS Perth, D29 ) としてオーストラリア海軍に就役した(オーストラリア海軍の歴史 )。
1939年7月26日、パースはオーストラリアへ向けてポーツマスから出航[10] 。8月4日にニューヨーク に到着[10] 。8月16日まで滞在し国際博覧会に参加した[6] 。8月21日、ジャマイカ のキングストン に到着[10] 。8月23日に出航しパナマ運河 へ向かう予定であったが、それは中止された[10] 。
第二次世界大戦 開戦後、パースはカリブ海 でタンカーの航路の防衛やドイツ商船の逃走阻止などに従事した[10] 。10月4日からは重巡洋艦ベリック とともにキングストンからイギリスに向かうKJ3船団 (45隻)を途中まで護衛した[11] 。11月22日にパースはパナマ運河を通過し[11] 、太平洋に出た。11月25日にココ島 に到着し、カナダ海軍 の駆逐艦オタワ とレスティゴーシュ に給油を行った[11] 。パースは11月29日にパナマ運河を通過しカリブ海に戻った[11] 。1940年2月29日、キングストンを出航[12] 。3月2日にパナマ運河を通過し[12] オーストラリアへ向かった。3月17日にタヒチ島 パペーテ に到着。3月25日にフィジー のスバ に着き、3月31日にシドニー に到着した。
1940年終わりからパースは地中海 で活動し、それまで地中海艦隊 に所属していた姉妹艦シドニー (HMAS Sydney ) がオーストラリアに戻っていった(第二次世界大戦のオーストラリア海軍 )。パースは1941年3月下旬のマタパン岬海戦 に参加、4月にはギリシャ からの撤退 を支援した。続いてクレタ島からの撤退 を支援し、5月30日に爆撃で直撃弾を受けた。パースはアレクサンドリアで修理を受けた。修理完了後、6月26日にパースは、シリア・レバノンでの作戦 を支援する部隊に加わり、フランス軍に対する砲撃などに従事した。
1942年頃のパース。
8月、「パース」は姉妹艦ホバート (HMAS Hobart ) と交代して整備や対空兵装強化のためのオーストラリアに戻った[13] 。その完了後、「パース」は豪州海軍の重巡洋艦 キャンベラ (HMAS Canberra, D33 ) とともに1941年12月12日にシドニー から出港しブリスベン へ向かった[15] 。3日後にはニュージーランド海軍 の軽巡洋艦アキリーズ (HMNZS Achilles ) と合流し、ペンサコーラ船団 (英語版 ) の護衛を構成した[15] 。その後1942年末まで「パース」は本国水域での船団護衛に従事した[17] [18] 。
1942年1月31日に「パース」はシドニーから出航して2月10日にフリーマントル に着き、2月15日には軽巡洋艦 アデレード (HMAS Adelaide ) に代わって空荷の4隻のタンカーと2隻の貨物船からなるMS4船団の護衛となった[18] 。これは日本軍に侵攻前に蘭印から出来るだけ多くの石油を確保するための任務であった[18] 。シンガポールが陥落すると「パース」と貨物船「's Jacob」以外はフリーマントルへ引き返させられた[18] 。途中でオランダ船「Swartenhondt」と「Karsik」が加わったが、この作戦は2月21日に中止となった[18] 。「パース」は3隻をフリーマントルから700海里以内まで護衛し、それから北上[17] [18] 。2月24日にタンジョン・プリオク に着いた[17] [18] 。翌日、「パース」は重巡 エクセター (HMS Exeter, 68 ) 、駆逐艦「ジュピター 」、「エレクトラ 」、「エンカウンター 」とともにスラバヤ へ移動しカレル・ドールマン 少将麾下のABDA艦隊に加わった[17] 。
1942年2月27日、豪重巡洋艦エクセター、米重巡ヒューストン (USS Houston, CA-30 ) 、ドールマン提督旗艦の蘭軽巡デ・ロイテル (Hr. Ms. De Ruyter ) 、蘭軽巡ジャワ (Hr. Ms. Java ) などとスラバヤ を出撃、ジャワ島 攻略に向かう日本軍の船団の護衛艦隊と交戦した。このスラバヤ沖海戦 で連合軍は敗退。28日、「パース」は「ヒューストン」と共に離脱してタンジョン・プリオクに入港した。同日、パース艦長ヘクター・ウォーラー 大佐が指揮する巡洋艦2隻(パース、ヒューストン)とオランダ駆逐艦 エファーツェン (Hr. Ms. Evertsen ) は出港し、スンダ海峡 経由でジャワ島南岸のチラチャップ へ向かった。その途中でバンタム湾 に集結して揚陸作戦中の日本軍輸送船団を発見、それを攻撃した。だが原顕三郎 少将が指揮する日本軍護衛部隊(第五水雷戦隊 )や増援部隊(三隈 、最上 、敷波 )との砲雷撃戦によりパースとヒューストンは撃沈された。遅れて続行していたエファーツェンも第11駆逐隊の2隻(叢雲 、白雲 )によって追い詰められ、セブグ島 に座礁して自沈した[注釈 2] 。
「パース」では艦長を含め353名が死亡した[21] [22] 。328名の生存者のうち4名は岸に着いた後死亡し、他は捕虜となった[23] 。106名が泰緬鉄道 建設などに動員され死亡し(泰緬鉄道建設捕虜虐待事件 、失われた大隊 )、うち38名はヒ72船団 の楽洋丸 で移動中にアメリカ潜水艦シーライオン (USS Sealion, SS-315 ) の攻撃を受けて死亡[24] 、戦後まで生き残ったのは218名であった[23] [注釈 3] 。
出典
注釈
^ 1931年度計画艦のフェートンは、1935年9月の竣工と同時にオーストラリア海軍に移管されて軽巡シドニー (HMAS Sydney ) となった。
^ 資料や文献によってはエヴェルトセン、エヴァーツェンと表記する。
^ ヒ72船団部隊では、バタビア沖海戦に参加した駆逐艦敷波 もアメリカ潜水艦グロウラー (USS Growler, SS-215 ) に撃沈された。
脚注
^ a b c d e f HMAS Perth (I) | Royal Australian Navy (2018年10月29日閲覧)
^ Cruisers of World War Two, p.19
^ a b c d e Royal Australian Navy, 1939–1942, p.130
^ a b c d Royal Australian Navy, 1939–1942, p.131
^ a b Royal Australian Navy, 1939–1942, p.132
^ Bastock, Australia's Ships of War , p. 127
^ a b Gill, Royal Australian Navy 1939–1942 , p. 510
^ a b c d Cassells, The Capital Ships , p. 93
^ a b c d e f g Gill, Royal Australian Navy 1939–1942 , p. 580
^ Cassells, The Capital Ships , p. 94
^ “Remembering 1942: The Cat Who Knew ”. Australian War Memorial. 2015年6月29日 閲覧。
^ a b Cassells, The Capital Ships , p. 95
^ [1] 2019年11月29日閲覧
参考文献
編集人 木津徹、発行人 石渡長門『写真シリーズ 軍艦の構造美を探る(3) 巡洋艦 WORLD CRUISERS IN REVIEW 』株式会社海人社〈世界の艦船 別冊〉、2007年6月。
編集人 木津徹、発行人 石渡長門『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。
G. HerMon Gill, Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy Volume I – Royal Australian Navy, 1939–1942 , 1957
M. J. Whitley, Cruisers of World War Two: an International Encyclopedia , Naval Institute Press, 2000, ISBN 1-55750-141-6
Bastock, John (1975). Australia's Ships of War . Cremorne, New South Wales: Angus and Robertson. ISBN 0-207-12927-4 . OCLC 2525523
Cassells, Vic (2000). The Capital Ships: Their Battles and Their Badges . East Roseville, New South Wales: Simon & Schuster. ISBN 0-7318-0941-6 . OCLC 48761594
関連項目
外部リンク