ハリー・クラークは工芸家のジョシュア・クラークの息子であり、幼い頃から芸術 (特にアール・ヌーヴォー) に触れていた。 ダブリンのベルヴェデーレ・カレッジに入学し、10代後半までダブリン芸術学校でステンドグラスを学んだ。彼のステンドグラス作品である「The Consecration of St. Mel, Bishop of Longford, by St. Patrick」は、1910年度国民教育コンペティションのステンドグラス部門においてゴールドメダルを獲得した。
『ポオ怪奇小説集』は未曾有のヒットとなり、彼の挿絵画家としての名声を得さしめた (贈答用挿絵本は20世紀の第1四半期頃、その黄金時代のただ中にあった。クラークの作品は、オーブリー・ビアズリーやカイ・ニールセン、またエドマンド・デュラックらとならび評された。「The Years at the Spring」 (12枚カラーイラストと14点以上の単色イラストを収録)(Lettice D'O. Walters編, 1920年) や、シャルル・ペローの『ペロー童話集』、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『ファウスト』 (8枚のカラーイラストと70点以上の単色・2色刷イラストを収録)(1925年) での仕事も、その名声を支えた。『ファウスト』は彼の代表作であり、1960年代のサイケデリックの不穏な絵画的形象を予示していたともいえるだろう。
クラークの最も人気のある作品のうちの2つには、Geofrey Warrenによって書かれたジェムソンアイリッシュウイスキーの宣伝小冊子である「A History of a Great House」(1924年、およびその後の増刷)と「Elixir of Life」(1925年)が含まれる。
クラークの最後の本となったのは、1928年に出版された『Selected Poems of Algernon Charles Swinburne(アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン精選詩集)』である。その頃彼は一方で、再びステンドグラスの仕事に励んでいた。1921年に父・ジョシュアが死んだのち父のステンドグラス工房を継いだハリーは、兄弟のウォルターと共に130点以上もの窓を制作した。