ディクソン・ポール・エトゥフ(Dickson Paul Etuhu, 1982年6月8日 - )は、ナイジェリア・カノ出身の元サッカー選手。元ナイジェリア代表。ポジションはMF。
クラブ歴
キャリア初期
ナイジェリアのカノに生まれ、イングランドのサザーク区ペカム(英語版)へ移住する。
2000年にマンチェスター・シティFCのユースチームから昇格し、同年プロデビュー。同クラブで約1年半プレーした後、2002年1月にチャンピオンシップのプレストン・ノースエンドFCへと移籍した。2004-05シーズンにはクラブの昇格プレーオフ決勝進出に貢献。ウェストハム・ユナイテッドに敗れたが、自身はエヴァートンFCやウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCから関心を示された。プレストンではリーグ通算100試合以上に出場した。
ノリッジ
2005年11月よりノリッジ・シティFCへ2か月間の短期ローンで加入[1]。翌年1月には、3年半の契約で完全移籍となった[2]。移籍金は45万ポンドで、出場試合数に応じて最大10万ポンドが上乗せされる。2006年8月23日のリーグカップ、トーキー・ユナイテッドFC戦で移籍後初ゴールを挙げる[3]。リーグにおいてはサウスエンド・ユナイテッドFC戦で加入後初得点を記録した[4]。同月中のトレーニングでチームメートのユースフ・サフリと衝突するが、翌週には和解している[5]。10月21日のカーディフ・シティFC戦 (1-0) で決勝点を挙げ、監督交代後初のホームゲームでの勝利に貢献した[6]。
サンダーランド
2006-07シーズン終了後、クラブによる契約延長オファーを拒否。翌シーズンよりプレミアリーグに復帰するサンダーランドAFCへ移籍金150万ポンドで加入した[7]。2008年2月9日のウィガン・アスレティックFCで、ディーン・ホワイトヘッドのフリーキックからゴールネットを揺らし移籍後初得点となった[8]。
フラム
2008年8月29日、フラムFCに3年契約で移籍[9]。2009年4月12日の古巣マンチェスター・シティ戦 (3-1) で、59分に勝ち越しゴールを挙げた[10]。同年8月6日のUEFAヨーロッパリーグ ・FKヴェトラ戦で欧州の舞台及びクレイヴン・コテージで初得点を記録[11]。2010年8月28日のブラックプールFC戦では87分に同点弾を決め、2-2のドローに持ち込んだ[12]。9月7日には、契約を2014年まで延長した[13]。11月13日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦で、69分にゲラ・ゾルターンとの交代でピッチに立ちプレミアリーグ50試合出場を達成[14]。2011年1月8日に行われたFAカップ3回戦のピーターバラ・ユナイテッドFC (6-2) で、フラムでの5ゴール目を記録した[15]。
ブラックバーン
2012年8月3日、ブラックバーン・ローヴァーズFCと4年契約を締結[16]。先に加入していたフラム時代の同僚ダニー・マーフィーと再びチームメートとなる。9月29日のチャールトン・アスレティックFC戦で移籍後初得点を挙げた[17]。2013-14シーズン限りでクラブとの契約を解除した。
スウェーデン時代
2014年12月23日、アルスヴェンスカンのAIKソルナへの加入が発表された[18]。
2017年8月6日、スウェーデン5部に所属するIFKレスフェホルムへ加入した[19]。
代表歴
ナイジェリア代表としては、2007年10月にデビュー。その後、2度のアフリカネイションズカップのメンバーに選ばれた。南アフリカW杯出場メンバーにも選出され、チームはグループステージで敗退したものの3試合全てでプレーした。
2011年8月に代替選手として招集されるがこれを拒否し、サムソン・シアシア(英語版)監督の下ではプレーしないことを表明[20]。スティーヴン・ケシ(英語版)が新監督に就任すると、同年11月の代表招集に応じた。
不祥事
2017年5月、古巣のAIKソルナとIFKヨーテボリの試合で、AIK時代のチームメイトで元カナダ代表GKのケニー・スタマトプーロス(英語版)に八百長を持ちかけた疑いにより、2018年9月に贈賄容疑で起訴された[21]。翌年11月に有罪判決を受けたのに対し、エトゥフは控訴の意向を表明し、弁護側と検察側の双方が上訴することになった[22]。
その後、2020年4月にスウェーデンサッカー協会の懲罰委員会によって、スウェーデン人FWアルバン・ユスフィと共に5年間のサッカー活動禁止処分が科されたものの、エトゥフはAIK退団以降、既に現役引退同然の状態となっていた[23]。
人物
脚注
外部リンク