イディエ・アイデ・ブラウン(Ideye Aide Brown, 1988年10月10日 - )は、ナイジェリア・ラゴス出身のサッカー選手。アリス・テッサロニキ所属。ポジションはフォワード。
経歴
クラブ
2003年からナイジェリアのバイエルサ・ユナイテッドFC(英語版)のユースチームでキャリアをスタートさせると、2006年にトップチーム昇格を果たした。7月1日にオーシャン・ボーイズFC(英語版)へ移籍し、同年のナイジェリア・プレミアリーグで優勝した。2007年8月に欧州へ渡りオランダ1部のヴィレムIIのトライアルに参加するも契約を勝ち取ることは出来ず[1]、2008年1月に欧州へ再上陸しスイス1部のヌーシャテル・ザマックスに移籍。それから3年後の2010年にフランス1部のFCソショーへ移籍金600万ユーロで加入した[2]。加入1季目は途中参戦だったためか2得点に終わったものの、2季目はモディボ・マイガとコンビを組むと共に15得点を挙げ、チームのリーグ5位に貢献した。
2011年7月6日にウクライナ・プレミアリーグのディナモ・キーウに移籍金800万ユーロの5年契約で加入[3]。同月16日のPFCオレクサンドリーヤ(英語版)戦でデビューすると2得点を決め、出場2試合目のFCオボロン・キエフ(英語版)戦で再び2得点を挙げる活躍を見せた[4]。2012年8月7日にUEFAチャンピオンズリーグ 2012-13予選3回戦のフェイエノールト戦では2試合共に決勝点を挙げ勝利に貢献し[5][6]、ボルシア・メンヒェングラートバッハとのプレーオフ第2戦では相手に2点先制され、2試合合計3-3の引き分けに持ち込まれたが、88分に得点を決めたことで本大会に進出した[7]。
2014年7月18日、クラブ史上最高額の移籍金でウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに移籍した[8]。
2015年8月31日、オリンピアコスFCに移籍した[9]。
2017年1月、2年半の契約で天津泰達足球倶楽部に移籍した。
2019年6月、アリス・テッサロニキに1年契約で移籍した[10] 。
代表
U-20時代に2007 FIFA U-20ワールドカップのメンバーに選出されると5試合に出場し、コスタリカ戦で1得点を記録。A代表としては、2010年5月に2010 FIFAワールドカップへ向けての選考メンバー30人に招集された。最終メンバー23人から一旦落選したものの、その後ミケル・ジョン・オビが膝を負傷したためメンバー入りを果たした[11]。
アフリカネイションズカップ2013のメンバーに選ばれる[12]と準決勝のマリ戦で得点を挙げ、全試合に出場するなど優勝に貢献した。
タイトル
- クラブ
- FCディナモ・キーウ
- オリンピアコスFC
- 代表
脚注
- ^ "Ideye Brown niet naar Willem II"
- ^ "Ideye Brown für stolze 6 Millionen zu Sochaux"
- ^ "ディナモが攻撃陣を補強"
- ^ "Brilliant Debut for BROWN IDEYE"
- ^ "In-form Brown gives Dynamo advantage"
- ^ "Koval on hand as Dynamo reach play-offs"
- ^ "ディナモ、敗戦もプレーオフ突破"
- ^ "WBA、クラブ史上最高額でナイジェリア代表FW獲得"
- ^ “Official: Ideye departs West Brom for Olympiakos” (2015年8月31日). 2021年2月5日閲覧。
- ^ Barrie, Mohamed Fajah (2019年7月4日). “Brown Ideye: Nigeria striker looks to revive career in Greece”. BBC Sport. 2021年2月5日閲覧。
- ^ "Ideye replaces Mikel"
- ^ "Nations Cup 2013: Nigeria pick six locally-based players"
外部リンク