タピット (Tapit) [2]はアメリカ生産、調教の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に2004年のウッドメモリアルステークス、2003年のローレルフューチュリティ(英語版)。競走馬時代はアメリカクラシック三冠戦線の有力馬の一頭と見なされたが、度重なる病気などでアメリカクラシック三冠の前哨戦しか勝てず引退。種牡馬としては数々の活躍馬を送り出し、2014年から2016年の北米リーディングサイアーの座に就いた。
血統の良さを買われ、1歳(2002年)時にキーンランドオクトーバーイヤリングセールで62万5000ドル(当時の為替レートで約7700万円)で落札される[3]。
2003年10月19日、デラウェアパーク競馬場でのメイドン競走でデビューし、2着に7馬身4分の3差つけて勝利。2戦目のG3競走ローレルフューチュリティも、度重なる不利をものともせず2着に4馬身4分の3差をつけて2連勝で重賞を初めて制する。当時の様子について担当厩務員は「いたずらと遊ぶことが大好きで、『Dennis the Menace』(邦題:わんぱくデニス)のようだ。しかし、いざ走らせると別馬のように変わる」と評していた[4]。
3歳となった2004年初戦のフロリダダービーは勝ち馬から5馬身以上離された6着に敗れ、レース後に肺感染症に罹患していることが明らかになる[5]。いったんは回復し、ウッドメモリアルステークスを制して巻き返したものの、この際も感染症に加えて脚にできた腫瘍の影響もあり、満足のいく調教状態ではなかった[6]。三冠第1戦のケンタッキーダービーはスマーティジョーンズの9着に終わり、その後はベルモントステークスを目指し、プリークネスステークスをも制して三冠に手がかかっていたスマーティジョーンズの強敵とも目され5月26日にはレースに向けた調教まで行っていたが、肺感染症が完治していなかったことから出走を取り止めた[5][7]。夏になり、いったんはハスケルインビテーショナルハンデキャップで復帰の予定だったが[6]、今度は喉の手術のため見送られる[8]。秋に復帰するも、復帰戦のペンシルベニアダービーで9着に終わり、このレースを最後に引退した[9]。
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引退後はケンタッキー州レキシントンのゲインズウェイファームで種牡馬入りし、初年度となる2005年の種付け料は1万5000ドルに設定された[9]。2008年に初年度産駒がデビューすると、いきなりスターダムバウンドがブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズなどG1競走3勝を挙げてエクリプス賞最優秀2歳牝馬に選出される活躍で、北米リーディングファーストクロップサイアーおよび北米リーディング2歳サイアーとなった[10]。その後も毎年活躍馬を送り出し、2010年に5万ドルに上がっていた種付け料は2011年に8万ドル[11]、2012年からは種付け料が12万5000ドルと[12]、初年度産駒がデビューした2008年(1万2500ドル)からわずか4年で10倍に跳ね上がった。その後も毎年活躍馬を送り出した結果、2015年の種付料は前年の15万ドルから30万ドルへと倍増し、年間の種付け頭数を最高125頭に制限しつつも2018年までその価格を維持し続けていたが[13]、2019年は22万5000ドル[14]、2020年はレーンズエンドファーム繋養のクオリティロードと同額の20万ドルに落ち着いている[15][16]。
産駒による年間最多収得賞金額も際立っており、2014年には、2007年にスマートストライクが樹立した、産駒による北米年間最多収得賞金を10月31日時点で更新し[17]、最終的には250万ドルほど上回る新記録で自身初の北米リーディングサイアーとなった。以降、産駒の最多収得賞金の首位の座を維持し続け、また幼駒も高値で取引され続けていることから、北米地域における競馬競走と競走馬市場の双方で支配的な存在を示す種牡馬とも評されている[14]。
日本では、競走馬として輸入された産駒にフェブラリーステークスなどを勝ったテスタマッタやUAEダービー勝ち馬でアメリカクラシック三冠に皆勤したラニ[18]などがおり、種牡馬生活の初期においてはテスタマッタの獲得賞金が産駒収得賞金額の大半を占めていたとも報じられていた[10]。そのほかにも、スターダムバウンドなどが繁殖牝馬として輸入されている。
※G1競走勝ち馬のみ記載
タピットはアメリカの三冠競走のひとつであるベルモントステークスに非常に強く、例年のように上位に産駒が名を連ねている。2014年に初めて産駒が同競走に出走したが、2021年開催終了の時点で4頭の勝ち馬を出しており、2着と3着も2頭ずつ、さらに孫も1勝している。ベルモントステークス4勝は19世紀の大種牡馬レキシントンに並ぶ大記録である。